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flumpool interview
- SPECIAL -

flumpool interview

monthly magazine eggman 12月号カバーアーティストの “flumpool” が
レコ発LIVEでなんとshibuya eggmanに出演!ネットでの生中継も同時開催!eggman_webspecial_1212_flumpool_banner.jpg

マスメディアが作るイメージの壁は、薄過ぎれば崩れ、分厚過ぎればアーティストが持つ本質を隠す。TV, ラジオ, 街頭ビジョンなど、私生活の中の様々な場面で耳にするflumpoolの音楽は強い大衆性を連想させるが、実質メンバーの頭の中では、自らの音楽はどう響き、経緯をどう捉え、今は何を考えるのだろう。今回発売となる新譜を聴く限り、新着ミュージックビデオで表情を見る限り、デビューからの4年間で彼等はより力強く自分の足で前へ進んでいるように見える。

Interviewer : 鞘師 至

ーデビューからリリース、ツアーと常に話題絶えずに駆け抜けて来たflumpoolですが、デビュー前は地元のライブハウスで活動していた様な時期もあったんですか?

■阪井:3人(阪井、山村、尼川)は同じ地元で幼稚園から高校までずっと一緒にいた幼馴染みなんですよ。 音楽を始めた頃は3人組でアコースティックやってました。

■尼川:19〜20歳くらいの2年間は路上とか、地元大阪のライブハウスとかでライブしてましたね。きっかけが、仲がいい地元のやつらで集まって、新しい遊びやろうぜっていうくらいの感覚だったんで、当時の僕からすれば将来のミュージシャン像なんてとても見えてなかったですね。

■阪井:カラオケ行ってお互い歌声讃え合ったりとかね(笑)。 そんな仲だったから。

–そんな仲から始まって、2008年にはメジャーデビューされましたが、当時のめまぐるしい環境の変化をどう捉えていました?

■山村:訳も分からず、ただがむしゃらにやってましたね。デビュー配信シングル「花になれ」の100万ダウンロードっていう事実も、正直最初は信じられなかった。デビュー後初めて原宿にあるKDDIデザイニングスタジオでミニライブをやる時も、どのくらいの人達が来てくれるのか、蓋を開けてみるまで不安で仕方なかったです。

■尼川:何がどうなって、自分達の曲をどこで誰が知ってくれたのか、状況が把握出来ていないままデビューを迎えたんで、その原宿でのライブの日も朝現場入りするまではチケットを路上で配らなきゃいけないと思ってました。デビュー3ヶ月前まで大阪にいて、地元でもライブハウスをいっぱいにするのが大変だったので。

■山村:そう、だから100人キャパくらいのあの場所に朝着いて1000人くらいのお客さんが並んでくれてるって聞いた時も、「嘘でしょ?」って。スタッフがメンバーを盛り上げてくれようと冗談言ってると思ってました(笑)。でもそこで初めて何となく、分かった気がします。自分達の状況が。

ー反響への喜びと反して天秤にかかるプレッシャーもあった?

■山村:そうですね、とにかく訳が分からなかったですね。

■尼川:それでも進むしかないしね。

ー今は歩幅と合ってきた?

■山村:ようやく合ってきました。当時はライブが音源に負けてる感覚だったんです。それが悔しかった。やっぱり音源を気に入ってくれて僕らを知ってくれる人が圧倒的に多かったので、それにライブの力で追い着こうと必死でした。真っ暗な夜の海を泳いでる感じと言うか、先は見えないけどとにかく手を動かして身体を動かして必死で喰らい付いていった感じがあります。それが故にやっと最近、今回のツアーくらいからかな、自分達のライブが音源を超えられたと思う。52本、半端なかったです(笑)。辛くはなかったですけどね。

■小倉:スケジュール的には3rd. Tour の方が過酷だったからね。週3〜4でライブして、その合間にイベントっていう、もうアルバイトのシフトみたいな頻度でがっつりやってきました(笑)。

ー「証」(本作8曲目収録)はNHK「みんなのうた」としてタイアップされましたが、僕らの世代からすれば、当時ヘビーローテーションで聴いていた国民的キラーチューンが多い「みんなのうた」にflumpoolの楽曲がエントリーされるというのは衝撃的でした。 ライブに足を運ぶお客さんの中には、小さいお子さんも増えましたか?

■山村:家族連れの方は昔と比べて多くなった気がします。

■尼川:たまに親御さんに連れてこられてる感満載の子もいるしね(笑)。

ー他にも紅白歌合戦に3年連続出場など、老若男女を問わず色々な人達に受け入れられていて、歌詞に共感する人達もまた多様な訳ですが、誰か特定の人へ向けてのメッセージや物語に感じるものが多い本作の歌詞、伝える先は身近にいる誰かですか?

■山村:歌詞は、ライブに来てくれる人達へ向けたものが多いかな。今回のアルバムは特にそうです。前回のツアーを回る中で作っていったんで、とにかく”ツアーに来てくれる人達に今届けたい音楽を”という気持ちで作りました。ただ、取り留めて言えばまず同年代の人達には絶対に響いてほしいという願いはありますね。同じ教育を受けて来たし、空気感も、世情も、受験も、就職も、同じ時代に生きて共有してきた人達な訳で、そういう人達にまず初めに響く音楽を作って、そこから自分達の世代の音楽として、もっと広くへ広がっていってくれたらと思ってます。3/11の震災があってから、一期一会をすごく強く感じるようになったんですよ。ライブに来てくれるってことはすごく特別な事であって、当たり前じゃないな、と。今目の前にいる人にもう明日には会えなくなるっていうひとつひとつの出会いの中で、自分は何を歌うべきか、何を伝えるべきか、と考えたら、ヘタな言葉は頭に浮かばない。そういう気持ちで今回書いていったんで、特定の誰かではないけど、その瞬間に目の前にいる人へ向けての歌ですかね。遠い世界の人じゃなくて、例えば今こうやってインタビューで話していて目の前にいる人へっていうのも同じだし、そこにいる人へ届けるっていう気持ちで、歌詞を書いて、歌を歌ってます。

ー楽曲のアンサンブルに関しては、例えば本作最終曲「36℃(PCの互換性で正しく変換されていない可能性ありますが、ここは”度シー”の記号表記でこちらで確認して掲載します)」のアコースティックなアレンジが印象的でした。 あれは意図的なアレンジですか?

■山村:そうです。「どんな未来にも愛はある」(本作1曲目)の様にバンドで壮大に鳴らしている曲もあるんですが、ライブをやっていくに連れてもっと自分達の表現の先、理想を突き詰めたくなった時に、ああいう小さな世界で小さな愛を歌うっていうのも、僕らの今鳴らしたい音楽のひとつなんですよ。それを最大限表現できる方法を考えたら、やっぱり声の質感やことばの説得力を引き出せる弾き語りのスタイルになったんです。こういう曲もライブでやれたらいいと思う。

ーリリース後には横浜、大阪で4daysライブも決まってます。 まだライブでflumpoolを体験したことのないファンの方々へメッセージをお願いします。

■山村:ライブに来た事がない人には、是非今回見に来てほしいです。音源も大切にしてますけど、とにかく今はライブがその先をいってる気がするので。音源は音源で精一杯注力して作って、それでもそこで伝えきれないものをライブでは別の側面として見せようという気持ちでそれぞれに向き合っているので、音源を聴いてもらって、ライブに来てもらって初めて全部を伝えきれると思います。今までライブに来てもらった人達からは「意外だった」とか、「見る目が変わった」という声も結構聞きました。ライブを見てもらって、初めてバンドの実態が見える、ということなのかもな、と。今の世の中、目の前の問題に対して自分に自信を持って「こう思う」っていう意見を言うのがなかなか難しいと思うんですよ。だからこそ悩むと思うし、それでも耐えて一生懸命生きてると思うんです、みんな。僕らが想像も出来ないような過酷な状況で必至に自分を押し殺して生きている人も沢山いると思うから、そういう人達の前に僕らは立って、ライブ会場だけでは「自分が今一番楽しい!」っていう気持ちになってもらえたら、って。前回のツアー「Because…I am」も、そう言う意味のツアーだったんです。周囲がどう言おうと、自分はこの姿で生まれて、この声で生まれた。だから、唯一自分はこういう生き方しかできなくて、これが自分だっていう気持ちで音楽を届けて、お客さんにもそういう気持ちになってもらおうと思って回ったツアーでした。今回1月の4daysライブはその延長線上の最後の部分であり、前作アルバムをリリースしてからの集大成だと思ってます。会場が大きいとやっぱり最前列から最後列までには、客席から見ればステージと自分との間に第三者が入ってきて、どこか傍観しがちな環境だと思うんですよ。日本には大衆文化が実際あるし、迎合というか誰かにすり寄ったり思いやりを持ってその場を過ごすのも大事ですけど、でもライブ会場に於いては、そんなの関係なく、一番後ろの人が、一番前の人に負けてないくらい楽しんでるような、それぞれ皆が「今自分が一番楽しい」と思えるような場にしたいんです。ライブはそうなって初めて、何か生まれるものであって、そこに挑戦するのが1月のライブです。将来的には、アリーナツアーであったり、ドームツアーであったり、より大きな会場でツアーをやっていきたいんですが、僕らはまだまだその規模で説得力のあるライブを出来てないと思ってるんで、会場に来た人全員をもっと説得できるバンドになって、次のツアーを考えたいなと思ってます。

ー発売日12/12(水)にはなんとshibuya eggmanでのレコ発ライブも決定してますね。

■山村:幸運にもデビュー当初から僕らを見たいっていう人達が凄く多くいてくれたこともあって最初はクアトロ、その次はCC Lemon(現渋谷公会堂)っていう感じだったんですけど、大阪のインディーズの頃から、東京に上京してからもずっとeggmanで一度やりたい!と思っていたんですよ。で今回出すアルバムタイトルが経験っていう意味の”experience”になった事もあってメンバー・スタッフと「eggmanでやるのは今しかないだろ!」って話になったんです。ただ、見れない方も多いと思うので、ここはネットとかの中継と合わせたレコ発イベントにしようよって感じです。めちゃくちゃ楽しみですね。

ー最後に、先ほど話しにあった「音源で伝えきれない、ライブで伝えられるもの」って、山村さんにとっては何ですか?

■山村:胸張って生きて、目の前に立って伝えるってことです。そこに自分がいて、相手がいて、その人に向けて直接伝えるっていう。そこで出来るものっていうのは、その時しか見れないものだし、その一瞬一瞬が全てだと思うんですよ。 例えば僕がライブを見に行ったとして、演奏で多少失敗したって、「これが俺だ、どうだ!」っていう説得力がそこにあれば、「ああ、今日ライブ来てよかった」って思える。 それってもうその一瞬でしか伝えられないものであって、多少の失敗なんてあっても関係なく、その一瞬に賭けて今しか出来ないことをやろうぜっていうのが、僕達の生きることだと思うし、ライブでしか伝えられないことだと思うんですよ。 なかなか難しいですけどね、そうやって主張し続けて毎日生き続ける事は。 だからこそせめてライブの時間だけは今をひとつひとつ刻んでいって、昨日嫌な事があっても過去の失敗があったとしても、そこに着眼するんじゃなくて、今何ができる?ていう気持ちで何かを未来に残していきたいんですよね。 歌も同様に、その時しか歌えない歌をたとえ声が枯れようが必至に叫んだら、The Beatlesの「Twist and Shout」もそうですけど、ああいう魂が見せられるんだと思うし。 そういう根源があれば、へたくそで「今日全然だめだな、flumpool」とか思われてもしょうがない。自分が一所懸命積み重ねて来たもので、後はめげずに精一杯やるのみです。そしてその気持ちは全員とは言わずともきっと届く。目の前にいる一人の人へ向けて歌って、その人の人生変えられるような歌を歌えたなら、人数じゃなくそこに理想を感じるんですよね。それは過去ホールツアーを廻って思った事です。

ーそういう気持ちの繊細な感覚はやはりライブでないと、CDじゃ伝わらないですからね。

■山村:そうですね。一番自分が笑った思い出とか、楽しかった瞬間の表情とかをずっと持ち続けていられたら、生活の中でのちっぽけな悩みなんてどうでもよくなるって思うことがよくあるんですよ。そういう瞬間を自分達のライブで少しでも作れたら、そこにflumpoolが存在する意味があるんじゃないかと思います。

◉flumpool “New Album 『experience』CM”