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Poet-type.M interview
- SPECIAL -

Poet-type.M interview

“Poet-type.M”という芸術家がつくりだす”夜しかない街”を舞台にしたお伽噺(おとぎばなし)。

―今作、『A Place, Dark & Dark -観た事のないものを好きなだけ-』は1年かけて4部作に渡って、お伽噺が繰り広げられるコンセプトアルバムの1枚目という事ですが、どういった意図があったのでしょうか。

今、アルバムというものが、ただの楽曲の寄せ集めでしかなくなってきているイメージがあります。
アルバムというものは本来テーマがないと成立しないものだと常々考えていて、毎作品にテーマを持たせて制作しています。今作では”夜しかない街のお伽噺”を表現する中で、無理矢理1枚のCDに世界観を詰め込むよりも、1年を通して4部作で表現する方が聴き手側にも親切かなと感じました。

―今作のジャケット写真では、海も空も真っ暗な中に、近代的な建物の光だけが見える世界が広がるものになっていますが、この”夜しかない街”はどういった世界なのでしょうか。

先に答えから言ってしまうと、”2015年の東京の合わせ鏡”になれば良いなと思っています。音楽は文化で、ビートルズ”であったり”セックスピストルズ”であったりがその時代背景にコミットしたセンセーショナルなものがあったように、常にその時の時代背景にコミットせざるを得ないと思っています。
僕はその中にいる1人のアーティストとして、文化に対する責任の取り方を常々考えている中でのですが、僕はこの2015年の東京で馬鹿騒ぎする気にはなれなかったんですよね。
今回は”2011年3月11日の震災”以降、今いろいろな事が窮屈になってきていて、表現する事が難しくなっている中、”架空な街のお伽噺”というテイを借りて、今の日本の音楽シーンを表現していますました。
以前、”Good Dog Happy Men”というバンドで活動している時に制作した『the GOLDENBELLCITY』というアルバムではもっとプリミティブな部分を表現していたのですが、今作ではその延長線上にあるもっと現代的な世界もを表現しています。

―”Poet-type.M”では、”Good Dog Happy Men”と比べても、シンセの音を新しく取り入れていたりと、楽曲の構成をガラッと変えてきている印象があります。

“Poet-type.M”でのサウンド面でのテーマなのですが、どうすればエバーグリーンなものと新しいものとを融合できるかを考えて制作しています。アコースティックでも表現できるものの中に、どうやって新しいものを取り入れればいいのかをすごく意識して制作しています。

―今までの”Good Dog Happy Men”の楽曲ではギター中心で世界観をつくりあげていた印象がありましたが、”Poet-type.M”になり、M1の「唱えよ、春 静か(XIII)」でもシンセの浮遊する音や、エレクトロな音で世界観を表現していますね。楽曲の世界の中に誘い込むようなイントロもとても印象的です。

M1「唱えよ、春 静か(XIII)」では、現状に対して”NO”を突きつけて、大きな”YES”を追い求め旅に出る少女を歌っています。その姿は、今の”Poet-type.M”の現状にも肉薄していて、これから始まる”Poet-type.M”の物語にすごくリアリティを付けた気がしています。そういった面でも、今作の1曲目としてはすごくしっくりくる気がしています。

―M2の「痛いな、この光(Ticket To Nowhere)」では、心地よいギターから始まり、Bメロからどんどんシンセの音が顔を出し、サビでギターとシンセが融合するという演出をしていて、CDジャケットのような”春”を感じる楽曲ですね。

この楽曲では春風を吹かしたかったんですよね。詞よりも、音を使って春の夜を表現しています。
変にお洒落な事をせず、難しい拘りも持たず、この世界観をシンプルに表現するジャケットにできて本当に良かったと思っています。

―この楽曲では空をイメージさせるような音や詞を使っていますが、曲後半で一気に雲行きが悪くなり、ジャケットの静止画では描かれていないその先のストーリーを感じる事ができました。
M3の「観た事のないものを、好きなだけ(THE LAND OF DO-AS-YOU-PLEASE)」は今作のアルバムのタイトルにもなっている表題曲でもありますが、迫り来る未来に対する期待と不安が入り交じった心境を感じます。

迫り来る未来に対して”自由”に選択する事ができて、”自由”に悩む事ができて、自分自身が思っているより自分達は”自由”なんだなと感じています。
音楽においても、日本は音楽というものにルールも制限もないので、様々なジャンルのものが自由に溢れていて、今、その自由に対して、閉鎖的な考えや脅迫概念を持って生きるのは勿体ないと思っていて、そういった側面がこの楽曲には出ている気がしています。

―M4の「救えない。心から。(V.I.C.T.O.R.Y)」は、サウンド的にも歌詞でも、反感感情をすごく感じます。 “V.I.C.T.O.R.Y”とサブタイトルを付けているところにも、皮肉なメッセージ性を感じています。
今の音楽文化や、SNS等で簡単に吐き出してしまう言葉達に対するメッセージにも感じました。

そうですね。「観た事のないものを、好きなだけ(THE LAND OF DO-AS-YOU-PLEASE)」とは全く正反対で、この楽曲では今だからこその窮屈さや気持ち悪さを表現しています。歌詞の中の”Poet-type.M”はミュージシャン、”Chief-Editor”や”DJ”は音楽をみんなにレペゼンする立場の人達を意味していて、そんな音楽を取り囲む全ての人が、音楽を馬鹿にして投げているんじゃないかと感じる状況がたくさんあるんですよね。大きな”YES”を言う為に、そんなもの達にちゃんと”NO”を言っていかないといけないんですよね。

―曲中盤の、ギターの音が、音質の悪いラジオのように潰れた音で入っている部分は妙に浮き上がって聴こえて印象的でした。

あの音は、普通にアンプ等で歪ましている訳ではなくて、”ビットクラッシャー”という粒子を粉砕していくエフェクターを使用しています。あえて音を悪くする事によって、歌っている事に説得力を持たせられるように意識しています。

―M5の「泥棒猫かく語りき(Nursery Rhymes ep3)
は、他の楽曲に比べてすごく世界観の小さい楽曲に感じました。雰囲気をガラッと変えてきている意図はなんでしょうか。

この楽曲は、このお伽噺の世界の中での童謡のようなイメージで制作しました。
今作の中では完全に耳休め的な立ち位置で、こういった楽曲を収録することによって、作品に隙間ができて風通しが良くなるんじゃないかと思っています。前曲のシリアスな部分からの対比がまた気持ち良くて、こういう楽曲は作品の中に必要なものだと思っています。
歌詞の中の状況は最悪ですが、楽曲としては少しポップにもしているかなと思います。

―4部作の1部となる今作の最後を締めくくる「楽園の追放者(Somebody To Love)」は大聖堂での合唱かのような独特の雰囲気があります。

1部を締めるという意味で、この楽曲を今作のエンディングにするという事は絶対でしたね。

―エンディングに向かっている楽曲でありながらも、この物語の続きを聴き手に感じさせる構成になっていますね。

“To be continued”な部分というか、聴き手にちゃんと次があるよというのを提示してあげて、尚かつここから始まるという印象を感じてもらえるように意識して制作しました。
この楽曲に関しては、 “Good Dog Happy Men”の頃の僕が、今の僕に対して歌っているような気がしています。さっき話した『the GOLDENBELLCITY』の延長線上という部分はこういうところにもあるのかなと。

―様々な仕掛けを楽曲の中に取り込んでいますが、ライブでも拘っている演出などはありますでしょうか。

先日行ったライブでは、 “Dark & Dark”の世界に導きやすいように、様々な演出をしました。
スタッフが駅員の格好をしていたり、会場のチケットが汽車の片道乗車券になっていたりと、汽車に乗って”Dark & Dark”の世界にやってきてもらえるようなイメージで会場をつくりました。
ライブでは、曲の間の繋ぎの部分も止まる事なく、MCもマイクを一切使わず、全て事前に収録しておいたものを使い、1つのライブを1つの長い楽曲や映画かのように進めて、どんどん”Poet-type.M”の世界に誘導していけるように演出しました。ライブが終わるまで一度も拍手が起きませんでしたね。
全てのライブに何らかのコンセプトを持って演出をしていて、4/1の原宿ストロボカフェでのライブでは、汽車が立ち寄った1つの駅の街のBARのようなイメージを演出して、お酒で酔いどれながらやろうかなと思っています。
この日、今作の楽曲をいきなりアコースティックでやるという事も面白いかなと思っています。
様々な演出を取り入れる事で、このお伽噺の初めから出会えた方とは1年通して物語を楽しめると思いますし、それ以降に出会ったとしてもそこから楽しんでいけるような入り口をたくさんつくっていけると思っています。

―”Poet-type.M”はソロのアーティストで、ほとんどの楽器をご自身でも演奏されつつ、伊藤大地さん(SAKEROCK)や楢原英介栖原栄介さん(VOLA & THE ORIENTAL MACHINE)等、様々なミュージシャンの方々とも共に音楽をつくりだしていますが、そのようなスタイルをとっている理由はありますか。

僕が表現したい事はなにか1つの音楽性という訳ではないので、固定のメンバーとだけでは表現できないのかなと思っています。固定のメンバーを決めないからこそ音楽性も固まらず自由にできるというところがこのスタイルの強みだと思っています。懐の広いアーティストでないと、この音楽性を実現する事ができないので、周りにいるミュージシャン達に本当に恵まれているなと感じています。ソロのアーティストはどうしてもシンガーソングライターのようになりがちですが、僕は”1人オルタナティブ”を突き詰めていきたいなと思っています。

―”Poet-type.M”はこの先、どのように進んでいくのでしょうか。

僕は”屋号(バンド名)”をコロコロ変えてしまっているので、僕の音楽を好きで聴いてくれている人に対して不親切でもあると思っています。
でも、その分僕は今表現したいと思った事に100%振り切れる自由さに責任を持ってやりたいです。 “Poet-type.M”は10年音楽をやってきた中でやっと見つけた最後の答えだと思っています。