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Poet-type.M interview
- SPECIAL -

Poet-type.M interview

1年を掛けて四季4部作で表現されてきた『A Place, Dark & Dark』がついにクライマックスを迎える。先月号で自身の言葉で振り返って頂いたセルフレビューに続き、今月号ではロングインタビューで作品の本質を訊いてゆく。

interviewer:森村俊夫

Photographer:Takanori Abe

ミュージシャンという芸術家として、
未来へ”全肯定”を歌う意味。

–インタビューの始めに、まずは先月号で書いて頂いたセルフレビューの冒頭部、”1人が独りであることを認識させてくれる時間と空間”というフレーズの、”1人”と”独り”の違いからお伺いさせて頂けますでしょうか。

音楽を通して僕が表現したい事の中では”共有”は大事なものではありません。みんなで一つの価値観をユナイトしようとする事はとても全体主義的で恐ろしい事だと思っています。
今の音楽、特にギターロックがそうなりつつあるように感じていて、”みんなで一つになろう”とか、”ライブをお客さんと一緒につくりあげる”って事が当たり前にまかり通り過ぎていて、その光景が不気味でとても嫌いです。
“みんなで同じ振りをする”という光景の中に参加できる人は良いんですが、参加できない人はその空間の時点で排除されてしまうので、とても残酷な事だと思っています。僕は自分自身の気持ちをわかって欲しくて音楽をつくっている訳ではないし、ライブでもそんな事は絶対言わないし。
でも、そういった事が日常生活の中にもまかり通っていて、SNSで”共有”したりと、いつも見えない何かに接続されたまま生きている気がしていて、そこに対する強い反抗の気持ちがあります。一人一人が個で完結できる事による強さや美しさがあると思うので、”独り”という言葉を使って表現しました。
僕は今ソロで活動していて、バンドでは無いから、よりそういう気持ちが強いんだと思います。

–そんな”独り”で、この”A Place, Dark & Dark”という4部作のお伽噺の中を自由に好きな配役を選んで生きてきたという事なのでしょうか。

そうですね。このお伽噺は”街”がテーマの群青劇なので、ある人は”この街が大好きだ”って言っていて、ある人は”この街が大嫌いだ”って言っている。そんな人達を一つずつ曲にして、その人達に成りきって演じています。
そういった意味では、自分に捉われずに自由に曲作りができた作品だと思っています。

–それは今作の6曲のそれぞれで別々の配役というか別々の気持ちを表現しているという事でしょうか。

例えば、「接続されたままで(I can not Dance)」と「永遠の終わりまで、「YES」を(A Place, Dark & Dark)」では明らかに違う人が歌っているし、そこで”ニュートラル”に自分を保って、”Poet-type.M”ってこうだよね、”門田匡陽”ってこうだよねという明確な答えに捉われずに、その曲が言いたい事をその人に成り切って言い切る心持ちでいようと常に思っています。

–自分がニュートラルな状態なだからこそ、何かに捉われず幅広く表現できるという事ですね。

そうですね。この”Dark & Dark”は現実の現し身になっているので、世の中ですごく腹が立つ事が起こったら、それを”Dark & Dark”の世界に変換して物を言うような感じです。

–今作のジャケットはこれまでの3作と雰囲気が変わりましたね。
これまでの作品では、真っ暗な夜の中に明るく光っていた街が印象的でしたが、今作の中の街は完全に廃墟のようで真っ暗で、街の向こうに光が見えていますね。

今までの”Dark & Dark”の街並みとは違う陸(くが)で、完全に廃墟になっています。それはこの”Dark & Dark”という街の終わりを暗示しているもので、遠くに見える光は朝が来るわけでは決してなくて、今までの”Dark & Dark”の煌びやかな街の灯りです。

–なるほど。4部作目の最後でそういった暗示を込めたのは何故でしょうか。

今作の1曲目の「もう、夢の無い夢の終わり(From Here to Eternity)」という曲をつくった時に、”もうこの街は廃墟になっているな”と感じたんです。退廃した世界の中で歌っている曲で、この曲のイメージを絵にしてもらったのが今作のジャケットです。この場所は廃墟ですが、他の街はまだ光っています。

–4部作の1枚ごとで、春盤は”旅立ち”、夏盤は”出会い”、秋盤は”別れ”というテーマがあった中で、今作の冬盤の”再生”はどういった意味があるのでしょうか。

この廃墟の中にも木が生えていたりと新しい命が息吹いていて、今作が”ただの終わりではない”という事を意味しています。
「永遠の終わりまで、「YES」を(A Place, Dark & Dark)」という曲が最後に入っているんですが、この曲は一つの物語が終わった事に対する、未来への”全肯定”の気持ちなんです。一つの物語が終わった中で、ここから新しい物語が始まりますよという事をちゃんと言い切りたかったというのがあります。
この”全肯定”という言葉が、僕の中で”再生”という言葉とリンクします。
春盤は”全肯定”から始まりますが、それを4部作1年のサイクルを終えた中で、もう一度”全肯定”するという事に意味があると思っています。

–今作通して感じたすごく優しいメロディーの中、「もう、夢の無い夢の終わり(From Here to Eternity)」では対極するように破裂しそうなギターの音が入っていて、二面性の様なものを感じました。

この曲は実は、この4部作の中で一番初めにできました。
この楽曲ができた瞬間に”これはもう、何か終わった物語”の事を歌っているなと感じて、そこから何が終わったんだろうって振り返って掘り返していったところからこの”A Place, Dark & Dark”が生まれました。4部作の一番最初にできたのが終わりのピースだったんです。
なので、この楽曲は今まであった”Dark & Dark”の物語の優しさであったり辛辣な部分だったりを全て内包して、優しさだけでもないし汚いものだけでもなく、その両方があったよねというのを表現したかったです。

–なるほど。二面性どころではなくて、今までの楽曲全ての気持ちがこの1曲に込められているという事なんですね。

そうです。なので、僕の中でも特別な曲です。

–この楽曲の後半部分がとても神秘的で個人的にとても好きな箇所なんですが、その中のギターフレーズが曲の真ん中を抜けるようでとても印象的でした。今、話を聞くまではこの楽曲に”終わり”という部分を感じていなくて、とてもポジティブな部分を感じていました。

“終わり”をネガティブには捉えていないですね。終わってしまった訳ではなくて、自ら終わらせる事ができるのはとても幸せな事だと思っています。
次があるからこそ終われるし、この物語が終わったからといって、全てが終わった訳ではないと思っています。

–「氷の皿(Ave Maria)」もとても神秘的な楽曲ですが、ポップな部分もある中、歌詞からは、感情同士がぶつかる人と人との葛藤の様な部分も感じられる楽曲でした。

サブタイトルの”Ave Maria”は”産み直す”という意味で、”氷の皿”は僕にとって”過去の象徴”で、それを優しさだけで砕け散らせた後に何が生まれ直すのかという気持ちを歌っています。
昨年、”festival M.O.N”をやった事で、”BURGER NUDS”や”Good Dog Happy Men”という自分の過去と向き合って、その過去が僕の中での”氷の皿”なんです。僕は今まで生きてきた時間の全てでいつも優しさに包まれていて、散々”Poet-type.M”として1人で生きていく事を覚悟していたんですけど、昨年も夢物語を歩んできたみんなと接する時間が長くて、やっぱり優しさに触れる機会が多かった1年でした。でも、またこれから”Poet-type.M”として1人で歩いていくので、そういった優しさに甘えてはいられないよなという気持ちをこの楽曲には込めています。でも、それだけの意味にはしたくなかったので、人同士であったり、2つのものであったりの”相互不理解”というものを歌っているんだとも捉えられるつくりにしました。

–「接続されたままで(I can not Dance)」と「快楽(Overdose)」の2曲の流れは、”ダンス”や”快楽”という言葉を意図的に使いつつ、楽曲全体で生々しさを感じさせる楽曲ですね。

そうですね。前作の秋盤の制作が終わった後、最初にこの2曲が続けてできました。2015年の秋頃って、”安保(安全保障関連法案)”や”デモ”など、世の中でいろいろな事が起こっていて、そういったものに音楽をやっている人達が影響を受けて、音楽そのものが引っ張られている印象がありました。音楽は政治と関係なくて良いものだと思っているし、そういう事が僕は大嫌いです。
音楽は想像力を喚起するものだと思うので、みんなが”ジョン・レノン”のようになってしまって”みんなで1つになって世界を変えよう”みたいな事を音楽がやるようになってしまったらそれは悲劇だと思っていて、そこに対する”NO”を表現しています。
本当はみんなが個々で切断されているはずなのに、世の中の事に関心を持たないといけないという風潮があって、様々な情報や常識にみんなが強引に接続されたままで生きている。だから”一人”が”独り”のまま踊れないんです。

–「「ただいま」と「おやすみ」の間に (Nursery Rhymes ep1)」は他の楽曲とは違ったアプローチの楽曲ですね。

副題は”童謡”や”わらべ歌”という意味があるんですが、童謡やわらべ歌は”ロンドン橋落ちた”のように怖い事を明るく歌っていたりと常に気が利いていて面白さがあると思うんです。僕がこの楽曲をつくった頃”AMBIENT HIP HOP”にハマっていたんですけど、その時に”なんでこんなに気持ちをアッパーにブーストされた楽曲ばかりなんだろう”と感じたんです。同時に何故ロックバンドは言葉にメロディーを付けるのか?何故ラップにはメロディーが無いのか?という当たり前のことがとても不思議に感じたのです。なので、”AMBIENT HIP HOP”のオケをつくって、そこに全く何の変哲もないただの語りを入れる事で、音楽をジャンルに分ける不自由さに対する皮肉めいた楽曲にしています。”童謡”や”わらべ歌”ならば形式に囚われる必要はありませんから。

–4部作の最後に収録されている「永遠の終わりまで、「YES」を(A Place, Dark & Dark)」ですが、この楽曲を最後に持ってきた意味はありますでしょうか。

先ほど話したジャケットの話に繋がりますが、この物語の最後で、圧倒的にわかりやすく”YES”と言いたかったんです。

–冒頭でも話しましたが、春盤の中にもある”YES(全肯定)”という言葉を、今作で再度伝える意味はなんでしょうか。

春盤は”YES”を言おうと決めてつくり始めました。この物語を進んできた中で冬盤は結果として”YES”という言葉が出てきたので、決意と結果の違いがあります。
去年の春と今年の春では外の景色はそんなに変わらないんですが、そこに咲いている花は絶対に去年咲いていた花ではないんです。それが、非常に”言葉”というものに近いと思っていて、去年”永遠の終わりまで「YES」を”と歌ってこの物語を始めたけれど、今年”永遠の終わりにまで、「YES」を”と歌って終わる。同じ言葉なんですが、違う決意、違う結果の”全肯定”で終わりたかったというのがありました。

–最後に。春盤をリリースした際に”この作品が東京の合わせ鏡”だと、話されていましたが、この物語を終えた上での今の東京はどんな街でしょうか。

今年に入ってまだ間もないですが、世の中で気持ち悪い事がたくさん起こっていて様々なニュースを目にしますが、そこに対して僕は、百万光年くらい離れた気持ちでいます。他人事は他人事ですから。
僕が今日話していた事のように、本来であれば切断されているはずのものにみんなが接続されてしまっている今があって。だからこそ、この”A Place, Dark & Dark”の歩き方で真っ向勝負に進んでいくべきで、その価値観を倒していこうと思っています。
それはミュージシャンとしては、とても遣り甲斐があって気持ち良い事です。


A Place, Dark & Dark Public Performance
「God Bless, Dark & Dark」
2016年4月17日(日)
@Mt.RAINIER HALL SHIBUYA PLEASURE PLEASURE
開場16:00 / 開演17:00
前売¥4,300-(税込)