ご無沙汰しております。サカキナオと申します。
街を行き交う人々も羽織物から解き放たれ、まさに「衣替え」のご様子。ワタクシも例に漏れず厚い革ジャンを脱ぎ捨て、街を闊歩するのでありました。
そんなとある日の昼下がりのことでございます。ワタクシ、ツレと一緒に某ショッピングモールにて買い物をしておりました。駄弁りながら歩いていると私の目に楽器屋さんが。思わず眼がそちらに一点集中してしまいまして、暫くピアノに興じていると、「あれツレ公は、、、?」とまぁいつの間にかお一人様状態なのであります。
「やれやれ手のかかるお人だ。探しにいってやりましょうか。」と探索しておりますと、「いたいた、こっち、どこに行ってたの?」とツレ公が手招きしているではありませんか。
、、、「モヤっ」としちゃう。もうこっちの台詞だってのに。あちら様がぬけぬけとあたかもワタクシがはぐれたようなことをヌカしているではありませんか。とそのとき、店内放送が。
「本日も○○にご来店いただきまして、誠にありがとうございます。ご来館中のお客様に迷子のお知らせをいたします。、、、、、」
、、、ワタクシ武者震って参りました。ショッピングモールに蔓延る人攫いの癖を持つ虫々が身体をうじゃうじゃと走る。「迷子」のイタイ記憶が蘇る。
それでは小噺を。
母上曰く、幼少の時分スーパーに行くと毎回のようにワタクシ何処かへふらふらと行ってしまっていたらしく、その度に店内放送がかかり、あの無理に明るいテンションを纏った機械的な女性の声が私の名前を「ここまで来いよ」と言わんばかりに特定の場所に来るよう指示してくるのであります。ワタクシは「やれやれ」と指示された場所へ肩で風を切りながら向かうのですが、そこにはおろおろとした母上がおり、私を視認するやいなや開口一番「どこに行っていたの?」と少し怒り気味で構えているのです。
、、、「モヤっ」、、、コレなのです。当時幼いワタクシがこの場面に出くわしたとき、「おいどんが悪いってこと??」が心を占めておりました。
ああ、、、母上が中心で世が廻り過ぎてはいないだろうか!!だってだって私が母からはぐれたと同時に母が私からはぐれたともとれるではありませんか。
「モヤっ」の正体は大体こんなところでございます。いやいや勿論今なら完全に理解しておりますとも。親は子を保護する立場であるゆえに何もおかしな点はないでしょうが、当時の幼いかわゆいワタクシからすると何故こちらに「悪」をべったり塗りたくってくるのか、イマイチ理解できなかったワケでございます。
まぁしかしこの手の場面に慣れているワタクシ、そういうときはなんとなくその場の雰囲気に合わせ「心配したんだから」に対し、恐らく模範解答であろう「ゴメンナサイ」をカラッポに発するのでした。
しかし、そんな小生意気な私が迷子になることに肩で風を切るどころか、恐怖を植え付けられることになろうとは、、、それは別日の動物園のことでございました。
その日は我が家族で動物園にてファミリーデイを過ごしていたのですが、突然、妹公が雲隠れをされたのです。つまるところ迷子ですね。あれこれと妹公を探してました。まぁ幸いにもすぐに発見されましたがね。ワタクシはと言いますと「迷子になるなよ、面倒だなーー」って感じでございました。
その後、ほどなくして家族で車に乗り込んだところ父上が口を開きます。
「迷子になると大変だぞー。悪い人に連れてかれて内臓を売られちゃうんだぞおーー」
、、、いやはや身の毛がよだつ恐怖とはああいうことなのでしょうか。今思えば「夜に口笛をふくと蛇が出るぞおー」に近い教育的観念からの物言いなのかなとは思うのですが、然れど当時の人生経験がまだ5年程度のワタクシからするとそれはそれは恐ろしいの知識の注入でございました。
内臓がなくなる、、、よくわからんがすんごく良くないというか怖いことなのは当時の私にもよく分かりました。まぁ妹公ともども迷子を抑制すべく編み出した、父上のユニークな脅しだったのでしょうか。しかし父上の想い空しく、次の内臓損失の危機はすーーぐ訪れるのでした。
またまたとある日、その日は母上と3人で近所の公園へ。何をしに行ったのかまでは思い出せないのですが、お散歩ですかねおそらく。3人でえっこらえっこらと歩いていると、ワタクシの目に興味深いものが飛び込んでまいりました。
「ナンダコレ!!」
そこには死ぬほどデカい岩がありました。5つくらいの歳の子なんてみんなデカいものが謎に好きなので仕方ありません。思わず眼がそちらに一点集中してしまいまして、暫くデカ岩に興じていると、「あれ母妹は、、、?」とまぁいつの間にかお一人様状態なのであります。
「やれやれ手のかかるお人達だ。探しにいってやりましょうか。」と探索しておりますと、あれあれ一向に見つからないではありませんか。
もの凄い速さでとてつもない恐怖が身体を支配しました。そう先日の父上のせいです。
「、、、やばい悪い人に連れてかれちゃう、、!内臓とられちゃう、、!」
先日父上がかけた呪いが猛威を振るい、兎にも角にも母妹を見つけ出さねばといつも以上に必死。最早「おいどんが迷子ではなく向こうがーー」なんていう妄言は何処へやら。さながら網漁から抜け出すべく必死に泳ぐ魚のように走りました。ええ必死に走りましたとも。
しかし行く宛と言いますか、何処へ行けば母妹に会えるのか。はたまたどこへ向かうが正解か。連絡手段を持たぬワタクシはとんと見当がつかないのでありました。まぁそれでも走るしかない、とりあえず家へ。
その公園から家までは大体2、3キロほどだったでしょうか。幼き私の身体からすると大冒険の距離でございました。いやーーよく走った、ノンストップで走り続けましたよ。内臓を隠すようにひたすら走り、ようやっとお家へ。ってまだ車がない、、、。
母上と妹公はもう車にて帰宅している算段だったのに、、、。
まずい悪手だったか、、、どうしよどうしよ家にも居なかったらいよいよ正解がわからない、、、。
家の鍵も所持していない私は完全に途方に暮れていましたそのとき、「1人でなにやってんだい」と背後から声が。振り返ると隣りの隣りの隣りの家のおじさんが眼鏡を何度か右手でかけ直しながら私に問うておりました。
かくかくしかじか、、、と事情を話すと「それは大変だったねえーー」と某乳酸菌飲料ヤク◯ルトを私に手渡し、母上に連絡をしてくれました。そしてあっさりすぐに再会。
これがまたまぁまぁ怒られましたが、叱責されることに対しては何も文句も不満も湧かなかったのです。もう只々再会できたことと、己の内臓を守り抜いたことへの安堵で胸がいっぱいでございました。
あとヤク◯ルト美味しかったあーーー
後日譚として、それから時間は経過して現在へ。
いつからか人とはぐれてもなんの恐怖も感じず、ふてぶてしくいつか会えるだろうと肩で風切り歩けるようになっておりました。子どもの頃締め付けられていた様々な恐怖から衣替えの如く解き放たれ、店内放送による迷子コールにも、やたらとデカいものに惹かれているガキンチョにも、懐かしい気持ちと共に己の成長を感じるのでございました。
「おいどんも大人になったなあーーー」
内臓が取られるうーーー