お初にお目にかかります。サカキナオと申します。
昨年10/30『神退治』でデビューし、先日第2弾デジタルシングル『scream』の方も配信されているかと思いますので是非お聴き願います。
初手で自己紹介を蓑に宣伝をした格好になってしまいましたが、コラムについて、
今回有難いことにコラムを担当させて頂き、その第一歩として何を綴るべきか、、、。己がどんな人間であるかを発信するのが筋だろうとは思うのですが、如何せん気恥ずかしさの虫が右往左往し、ロクなものにならないと思いましたので、そうした意識を一切排除した私の駄文から、人間性を読み取って頂けたらと思います。何卒ご勘弁を。
さて、さして中身の無いことをああでもこうでもと申してきましたが、今コラムがお披露目されるのは1/1とのこと、しかし今現在筆を動かしているのは遡ること昨年暮れの12/20でございまして、故にありのままのココでの主題は「アケマシテオメデトウ」にも「イチフジニタカサンナスビ」にもならないわけであります。
幼い時分から録画放送に於ける、収録日と放送日の時間軸の歪みに困惑していた私にとって、お披露目日に合わせた執筆がどうも難しい、というか例の「気恥ずかし虫」が邪魔をしてくるのです。その辺(明けましておめでたい話をしろ等)、コラム初心者として大目に見て頂ければ幸いです。
では持参した小噺を。
先日、夜が深まるのにあわせて車を走らせ山奥へ。とにかく山の方へ、とにかく雲のないところへ。
こうして僻地へと向かうのは、美しい星空を堪能するためでありまして、満足いく眺望のために最善を尽くしているということでございます。その上、当日ただの星空でなく、ふたご座流星群の極大と重なって(というよりあわせて)それはそれは胸の奥がぐうっと上がる春のような昂揚感を連れておりました。
まぁ要するに流れ星が見たいから暗いところ(田舎と書くと失礼)へと向かったわけです。
車を走らせること一時間弱、側道に車を停め観測スポットをココと定めた。いざ夜空を仰げば満天の星空が、、、いや確かに見える。星は見えるのだ。雲一つないし寒空が故、空気は澄んでよろしいのだがただ一つ、今宵は満月(ほぼ)であったのだ。
やられたーーーお月様が騒がしい。奴が光るほど星の輝きが霞んでしまう。満月を目的とした観測ならばその美しい姿にうっとりなのでしょうが、こと本日のメインディッシュの条件としてはあまりにもマズい。
最新の文明に手助けしてもらおうと自前のスマートフォンでおもむろに調べる。”ホシミル マンゲツノトキ”
「満月のため、極大前後は月あかりの影響を大きく受けてしまいます。
月あかりを遮って観察してみましょう。」
「月明かりを遮って」、、、助言としては非常に難易度の高く、具体的にどうすればよいのやら。一応長年の星見の心構えとして、月夜の際は月から距離をとり「低い空を眺める」というのを会得しておりましたので実践してみたものの、本日はあまりにもお月様が煌々と輝いておりまして中々、、、なんたってほぼ満月ですから。
「まぁそりゃ見えんわ」とこちらも然もありなん、といった様子でお月様を睨んでおりましたところ、「あ、今流れた」と宣う隣の友人。流星群とは言え、流れ星なんて簡単に見れる代物ではありません。が、それが見えたというではありませんか。私がまだ見れてないにも関わらず、、、認められない。
「所詮主観だからな、言ったもん勝ちだろ」とこれ私の言葉。先述した虫とは別の、幼き頃から大切に飼育している「癇癪の虫」が少しだけ顔を覗かせたような捨て台詞にもならぬちっぽけなことを抜かしてしまいました。本当に情けない。
それからも友人は何度か流れ星を見られたらしく、ちっぽけな心の報いかおいどんの眼球に映ることはただの一度もありませんでした。
もう今日は遅いので、というかもう明日が明確に東からやってきそうなので帰路につく。あー残念。
その後、友人を送りようやく私もおうちに、そのときだった。夜の青黒を生き急ぐように一筋光が切っていった。「もしや流れた、、、?」
一人で嬉しくなっちゃって声が漏れそうになる。「見れた見れた!流れ星見れちゃった!」
そのときなぜか俯瞰でものを見るような、ふと引いてしまう自分がいた。そして誰かの声が聞こえるような気がする。
「言ったもん勝ちだろ」
己の業の深さか、さっきの言葉が反射してフラッシュバックする。そのときイヤーな鈍い感情にテンション急降下なのでございます。こういう日は夢にまで出てくるときがあるのです。発する言葉に責任を持たせようとする神の計らいなのか。
以上、星が綺麗だった話でした。写真は置いてきます。ではまた。