—–まずはバンドの生い立ちからお話を聞かせていただきたいのですが、2001年にクリープハイプを結成して、メンバーの入れ替えがあり、2009年に現メンバーになりましたが、この間に色々上手く行かない状況ってあったんですよね?
尾崎:ありましたね。高校生の頃から高いノルマを払う為にバイトをしていました。当時イベント全体でお客さんが4,5人とかでした。お客さんを呼ぶために頑張れば頑張るほど疲弊していくんですよ。どんどん体力もお金も無くなっていって、友達もいなくなるし。メンバーの仲も悪くなってメンバーがライブに来なくなったんです。その時期に下北沢DaisyBarの店長に「弾き語りでも何でもいいから出てくれ」と言われて出たら、店長と現事務所の社長がそのライブを観て泣いて感動してくれて。ノルマはいらないから今後も出てくれと言ってくれて、そこから毎月DaisyBarに出るようになりましたね。
—–そしてライブハウスでデモ音源を録ったんですよね?
尾崎:アーティストはこういう所からだって、社長がスタジオで録らせてくれなかったんです(笑)。
—–その期間もメンバーは安定しなかった?
尾崎:そうですね。きつかったです。1人でやりながらサポートに入ってもらったり。今のメンバーにサポートをやってもらった時に手ごたえがあったんです。お客さんの反応も違って、友達が観に来るといった感じがなくなりました。
—-初めて会場で観る人とか、純粋なファンの人が増えてきたってこと?
尾崎:その頃タワレコでコーナーが展開されて、そこで買ってくれた人をお昼の無料ライブに招待したんですけど、100人くらい来てくれて。
—–いきなり増えた!
尾崎:びっくりして。お客さんの雰囲気も変わりましたね。今までは知り合いが授業参観みたいに観ていたのに、純粋にライブを観る人達が来てくれて。それは現メンバーの3人も感じたみたいで、そこからスイッチが入ってこのメンバーでやってみようと決めました。
—-1stフルアルバム「踊り場から愛を込めて」についてですが。
尾崎:これは社長が何を言ってもスタジオでレコーディングをさせてくれなくて。当時同じ事務所に所属してたバンドがスタジオで録っていると聞いて、腹が立って裏切りだと思ったんですけど、後で聞いたら1日で10何曲録るという最悪のスケジュールだったらしいんですよ(笑)。それでライブハウスで録ってもいいから、1枚作って期間内に500枚売り切ったらスタジオでアルバムを録らせてほしいと提案したんです。そこで「mikita.e.p」という500円シングルを作って、売り切ってレコーディングをさせてもらいました。
—–おぉー。どれくらいの期間で作成したんですか?
尾崎:11曲入ってるんですけど、レコーディングは3日間です。
—-けっこう強行スケジュールですね(苦笑)。
尾崎:地獄でした(笑)。でもこれがタワレコメン(TOWER RECORDSのバイヤーがオススメするCD)になって。
—-そこからぐっと売れたイメージがありますね。
尾崎:タワレコメンに選ばれると売れると思ってたので。メンバーの小川(幸慈)君と新宿のホルモン屋で飲んでる時に、タワレコメンが決まったって聞いて2人で立ち上がってハイタッチしました(笑)。これで大ブレイクするなって思ったんですけど、1週間で600枚くらいしか売れなくて…。
—–過去と比べたら雲泥の差ですけどね。
尾崎:でも自分の中では全然売り上げがいかなくて落ち込みました。その直後にeggmanでイベントにOAで出させてもらったんですけど、リハーサル中にリハ時間をPAの人に確認したら「大丈夫だけど、OAだから弁えてね」と言われて。そんな悔しい思いをしたのでライブも観たくなくて、渋谷の路地裏で野球の書き込みをmixiで見ていました(笑)。その何年後かにあったSHIBUYA-AXのイベントでクリープハイプがトリだったんです。そのMCで「向かいのライブハウスで悔しい思いをしたけど、3年もあれば大抵のことはひっくり返せるので皆さんも頑張ってください」って言ったんですよ。
—-感動的だね!(笑)
尾崎:でもそういう嫌な人に感謝すべきだと思いますね。僕は特にモチベーションになるので。
—-尾崎くんの小説「祐介」のインタビューでも言ってましたね。嫌な人の事が強く印象に残ってて、感謝しなきゃいけないって。
尾崎:音楽活動は本当にそうだと思います。
—-次のミニアルバム「待ちくたびれて朝がくる」ですが、これで盛上がってきましたよね。音も変わったし。
尾崎:今のレコーディングエンジニアさんにも出会って、レコーディング日数も少しだけ伸びました!4日ぐらい(笑)。
—-それでもタイトなスケジュールなんですね(笑)。でも凄くいい作品に仕上がってますよね。
尾崎:「踊り場から愛を込めて」の時は追いついていなかったですけど、ようやく音楽をやれている実感が出てきましたね。メンバーも安定しないでどうやったら音楽という形になるんだろうと思ってたんですけど、ちょっとやれたかもしれないなって。そうしたら発売前に震災があったんです。ものすごく揺れて「あ、これ死ぬな」って思ったんです。
—–スタジオにいたんですか?
尾崎:夜勤明けで寝ていて、写真家の方とアルバムのジャケットの打ち合わせに行く前でした。でも真っ先に思ったのは、このアルバムだけは出したいなって。これを出して結果だけでも知りたいなと思うくらい大事な作品でした。震災から音楽に対して世間の見方も変わって、自分でも思う所はあったし、音楽に救われる立場でもないし、かといって誰かを救える訳でもなくて。雑誌とかでミュージシャンがコメントを出していたのに、そこに入れなかったのも悔しかったし。表現者としては当時の作品の状況と出来事が重なって、すごく色々思うことがあって。でも無事にアルバムが出せてツアーも回れました。
—-そのツアーファイナルの渋谷CLUB QUATTROのナタリーの記事のキャッチが『クリープハイプ満員オーディエンスと「セックスしよう!」』
尾崎:東スポの一面みたい(笑)。
—-歌詞の内容が「性」とか、「現状の不満」を歌い上げるスタイルですが。
尾崎:そういうバンドが当時、あまりいなかったんですよね。
—–銀杏BOYZとかいたかと思うんですけど?
尾崎:そうですね。峯田さんも「自分たちがやってきたことを今の時代でやってる」と言ってくれて、自分もすごく憧れていたし、受け継いでいると思っています。
—-それは憧れてました?「セックスしよう」とか正統派じゃなくて、トリッキーな見え方をするのかなって。ナタリーのようなキャッチを出されちゃうと。
尾崎:確かにそうですね。でも何でもよかったんです。
—-とりあえず売れなきゃダメ、現状良くしようみたいな?
尾崎:でもメジャーの声が1社しかかからなかったんですよ。
—-そこでメジャーデビューアルバム「死ぬまで一生愛されてると思ってたよ」ですね。オリコン19位!
尾崎:踊り出ましたね!
—-インディーズ時代と新曲と半々入ってる中、「オレンジ」という名曲も生まれましたね。
尾崎:あのアルバムは世に届いているスピード感が今まで経験したこともないような感じでした。それまではなんとなく悪くないけど、自分の予想を超えないとずっと思っていて。「オレンジ」は松居大悟と初めてしっかりMVも作れたし、車に乗っている時に偶然ラジオで曲が流れたりとか、追いつけないスピードで広まっていったので、ドキドキしたし、嬉しかったですね。
—-メジャーデビューしてからもバイトはしてました?
尾崎:してました!メジャーデビューしてから1カ月はしてましたね。当時深夜のテレビ番組に出てたんですけど、バイト中にテレビを観ながら、同僚のおじさんにこれ俺だよって(笑)。
—–この作品を出してから状況はかなり変わったと思うんですが、戸惑いはありました?
尾崎:戸惑いはなかったですね。ただ、その時メンバー間の状態は良くなかったんです。状況が変わって僕がメンバーを信用できない時期があって。でもフェスに出たりしてライブは楽しかったし、そこから「おやすみ泣き声、さよなら歌姫」はほぼ一人でこもって作って、反響もよかったし、「社会の窓」を作った時にはメンバー間も良くなりましたね。
—–「社会の窓」が出たときに、実は状況が良くなって、昔みたいなエッジな感じの歌詞が書けなくなるんじゃないかと自分は思っていたんですよ。でも、まさかその状況が良くなった現状を皮肉るというアイディアの作品が出てきてびっくりしました。
尾崎:曲を書かなきゃいけない時に大阪の西成という街に行ったんです。そこで過ごして東京に戻って家でとにかくギターを弾いてめちゃくちゃに言葉でもメロディーでもないものを録った時に、なんとなくこの雰囲気いいなと思って、とにかく言葉を殴り書きで並べていって、それをリズムに合わせて作ったのが「社会の窓」ですね。今までそういった作り方はしたことなかったんですけど、サビだけ何とかしようと思って、色んな事を言っているけど「今を愛してる」という言葉を使って。それがたまたまハマったというか、あの時の感覚はびっくりしましたね。こういう事もあるんだなって。その時は「憂、燦々」も作っていて、この曲は後にタイアップも決まっていたので丸くなったと言われないように作りました。「憂、燦々」までの流れは楽しかったですね。
—–当時もっといけるぞって思ってたら、意外といききれなかったとインタビューで語っていたと思うのですが?
尾崎:「憂、燦々」の時はものすごく落ち込みましたね。
—-どれくらいいけると思ってました?
尾崎:とにかく今まで以上にいけると思っていたし、いかなきゃタイアップをしてもらった意味がないと思ってました。アルバム「吹き零れる程のI、哀、愛」でついに勢いが止まったのか、そこからどうやっていこうかと思いましたね。
—–あの時止まったって思ってたんですね。
尾崎:「憂、燦々」でやばいと思って、どこかで止まるとは思っていたんですけど、止まってからだなとずっと思っていて。でも実際は落ち込みましたね。どうしていこうか迷って。そのアルバムのツアーが良くなかったんですよ。お客さんの熱量は凄くて、何で自分はピンと来てないのにお客さんはこんなに盛り上がってくれるんだろうと思っていて。
—–いわゆるグレー層にですね。
尾崎:そうですね。ツアーはすごく悔しくて。その頃から移籍問題も出てきて。そこから暗雲が立ち込めてきましたね(笑)。
—–でも2ndアルバム内容めちゃくちゃいい作品ですよね?
尾崎:でももうちょっとやっておかなければいけなかったなと思います。2枚目で状況にあぐらをかいている感じがありましたね。
—-このアルバムはほぼ書き下ろしでインディーズ時代の曲って入ってないですよね?
尾崎: ほぼ無いですね。でももう一段階やっておかなきゃいけなかったですね。普通にその範疇に収まったアルバムだったので。今まで全部覆していたのでそれができなくって、「憂、燦々」がピークでその横ばいになってしまったんですよ。それを引きずってアルバムのツアーでもそんなに盛り上がらなくって。ファーストアルバムの時よりもアルバムの曲の浸透度が薄くて、そこも悩みながらやっていました。それから移籍することになって。それで3枚目のアルバムも売れず、その時は苦しかったですね。次の年もシングルを2枚しか出してないので。
—–「愛の点滅」と「リバーシブルー」ですね。
尾崎:一番苦しい時、どん底かもしれないですね。当時、体もおかしくて全然歌えず、夏フェスでもボロクソだったんですけど、BOWLINEというイベントをやった時、久しぶりにいいライブが出来たんです。そこからは2016年に「破花」を出したり、ドラマの主題歌やらせてもらったり。
—-「破花」の音源のギターサウンドがすごく恰好よくてギターロックバンド感が増しましたよね!
尾崎:全然結果は出なくて悔しかったんですけど、今考えるとそこからしっかり種を蒔けたなと思います。「鬼」があってアルバムでもいろんなことをやれて、そこで立ち上がった感じがあります。そこまでに3年かかりましたね。
—–「破花」の特典のDVDにはかなり痛々しい姿が映ってたんですけど、どうして出そうと思ったんですか?
尾崎:そういう事をするしかなかったんです。逃げれないから。
—–そこで小説「祐介」の出版ですね。
尾崎:それは大きかったですね。小説という別の方向の動きは。レーベルとの関係性にしても、信頼してもらえるきっかけになりました。夏フェスで相変わらず悔しい思いはしていましたけど。
—–小説は調子の悪い時に取り掛かったんですか?
尾崎:どん底の2015年の夏フェスの時に書き始めました。夏フェスは他のバンドの歌声を聞きたくないのでギリギリまで耳栓して楽屋に篭って、結局ライブも全然ダメで、家に帰って月~木までずっと書いてました。1年3ヶ月くらいかかりましたけど。
—–よくその状況で書こうと思いましたよね。
尾崎:他の表現をしないとやっていられないと思って。逃げみたいなものですね。
—-「祐介」のインタビューで、音楽では歌詞を演奏とかで誤摩化せるけど、小説だと言葉しかないから逃げ場がなくなるって言っていたのを聞いて、逆に自分を窮地に追い詰めてるんじゃないかなって。
尾崎:その感覚は無かったですね。それが逃げ道だったので。でもすごく面倒臭くって。音楽だと誤摩化せるんですよね。表現するのに間を飛ばしても成り立ったりするんです。曲もあるしバンドは言葉だけじゃないから。でも小説はこれをやりたいなと思っても、それまでにやらなきゃいけない事がいっぱいあるんです。
—–伏線もいっぱい張らなきゃいけないし。
尾崎:それがすごく面倒臭くって。でもそれが出来た時の喜びもあります。『テトリス』で長い棒を使って一気に消した時みたいな。
—-凄い分かり易い(笑)!
尾崎:音楽はちょっと違うんですよ。『ぷよぷよ』の連鎖が起こる感覚ですね。トリッキーな色々な事が合わさって。でも小説は書いて良かったですね。それでも悔しい思いはしましたけど。
—-そうなんだ。
尾崎:本屋に行けなくなりましたね。他の本が積みあがっているのを見たくなくて(笑)。
—-そんな事がありつつも「鬼」というドラマとのタイアップ曲を出して。ギターリフとかすごく恰好よいですよね。
尾崎:その時マルーン5とかジャミロクワイを聴いていて、そういう感じにしたくって。
—–歌詞の内容も鬼から逃げているけど捕まえて欲しいみたいな。小説を書いてから曲の作り方も変えました?
尾崎:変わったと思います。「鬼」の時は音楽として書いてました。昔は小説みたいに行間も読ませたかったし、全部分かって欲しかったと思っていたんです。小説1冊分くらいを1曲に押し込めていたので、伝わらない時の悔しさも大きかったんです。でも小説を書いた時に満足した部分もあって、それはそれでやれるという武器を持てたから、音楽ではただ歌詞を書こうと。前は歌詞じゃなくて文章を書いてたんですよ、削ってるだけで。でも歌詞でいいと思ってからは楽になりましたね。
—-確かに抽象的な表現が多くなりましたよね。昔は具体的な事を書いてたイメージが強かったんですが。表現の仕方が変わったなって。視野が広くなったというか、各自聴いて感想を勝手に言ってください、みたいな。
尾崎:そうかもしれないですね。
—-そしてアルバム「世界観」ですね。
尾崎:「バンド」という曲がよくフューチャーされるんですけどね。
—-僕は「TRUE LOVE」と「5%」ですね!これを聴いてバンドの既成概念を変えられるくらいヤバいのを出したなと思いました。ただ、クリープハイプとしては危険と背中合わせというか、世の中から拒否されたらどうしようとか思わなかったのでしょうか?
尾崎:「世界観」はいろんな曲を入れていたのでたしかにそう思いましたね。でも割と世の中から外れてるという意識もあったし、やけくそになっている部分もあったので、どうせだったらこんな事もやってみよう、ダメなら色々やった上でダメな方がいいなと思っていました。そうしたらそこが何故かハマったんですよね。
—-先日の大阪のライブも良かったですね!(長谷川)カオナシ君が普通にキーボード弾いてたりとか、今まで無かった手法ですよね。
尾崎:ベースの音を同期で出してましたからね(笑)。
—-今迄聴いたアルバムの中で断トツに良かったです!もがいてもがいて新しい事を引き出そうとしている感じが。頑張ったなと!
尾崎:「バンド」という曲の前に「愛の点滅」と「リバーシブルー」が入っているところもグッとくるんですよね。悔しい思いがこのアルバムでしっかり形になったなって。この2曲の曲順を決める時も苦い思い出があったので。レーベル側に入れなきゃダメですか?って(笑)。
—–よっぽど嫌だったんだ(笑)。いい曲なのにね。
尾崎:アルバムのツアーも内容が良くて楽しくできて、立ち上がったなっという実感がありました。
—-ツアータイトル「熱闘世界観」って言っちゃうくらいですからね(笑)。とうとう野球ネタで本性表したな、完全にふざけだしたな、完全に門を開いたなと。曲、ツアータイトル含め色んな意味で。
尾崎:あんまりやってるが人いないじゃないですか。元々、性とか風俗嬢を題材にしたものとか荒らされてない畑があったからそこで作ったというだけなんです。
—-パッケージとしてもすごく丁寧に作られた感じがして。もちろん「祐介」の装丁も?
尾崎:小説とリンクさせることもできたしよかったですね。レーベルとも戦略的にやることができたので。
—–カチッとはまった感じがしましたね。
尾崎:なかなか2017年に行かないですね(笑)。待ちくたびれてるんですけど (笑)。
—–お待たせしました(笑)。2017年「もうすぐ着くから待っててね」ですが、「ただ」も勿論いいんですけど、やっぱり「陽」ですね。
尾崎:「陽」はもともと「愛の点滅」のタイミングで映画主題歌の候補だった曲なんですよ。
—–今回小林武史さんプロデュースでいわゆる超売れっ子のプロデューサーじゃないですか。一緒にやってみてどうでした?
尾崎:バンドの意見を聞いてくれるし、カオナシが色々聞いていましたね。きっとなにか吸収するんだろうなぁと思っていました。
—–ここで「イト」のPOP感を養ったのかなって。
尾崎:そうだと思います。
—-やっぱりそうなんですね。インタビューでKANA-BOONの鮪くんの歌がすごく上手いって言ってましたね。
尾崎:バンドマンぽくないシンガーのような歌い方をしていましたね。自由に作品を作った感じはありましたね。
—-特典DVDもチプルソさんとのライブも入ってるし、かなり良い内容ですね。
尾崎:コアなファンにしっかりと向けてるので。「ただ」に関しても、久しぶりにクリープハイプいいと思ったと言ってくれる人も多かったので。
—-イントロで優しい曲かなと思ったら凶暴な曲だったみたいな。クリープハイプっぽい曲ですよね。
尾崎:「破花」の時みたいに種を蒔いていて「イト」でそれを感じてますね。
—-「イト」はクリープハイプ史上最高にPOPな曲ですよね。ものすごく聴きやすいです。
尾崎:ありがとうございます。
——今回が一番歌詞に関して今まで糸で繋がった状態だったのをぶちっと切って、さあ次に!みたいなバンドのネクスト段階をイメージしてるような声明のような曲だなぁと思って。
尾崎:なんでできたのかわからないくらい久しぶりな感覚で。こういう感覚があったなって。「オレンジ」とか「ラブホテル」とか。
—-「憂、燦々」でやり切れなかった事を発散するとか、そういうエネルギーとかパワーとか。
尾崎:久しぶりに「憂、燦々」で負けたところまでもう一回きたというか、2回目に立った感じはしますね。周りのバンドが気づいたら解散してしまったりしてる中でもう一回戻ってきたことは奇跡だと思うし嬉しいです。
—-今までいろいろタイアップをやってきたと思うんですけど、それぞれその作品に寄り添いながらアイデンティティも出さなきゃいけないし、そこのバランスの取り方というのは今回はどう作りました?
尾崎:単純にいい曲を作って、売れるという事に重点を置いてました。作品に寄り添うのは歌詞で出来ると思うので、受け皿の曲がないと何も乗せられないと思いました。本当にレーベルを移籍して良かったなという所に持って行かなきゃいけないと思いました。
—-クリープハイプを投影してるような、「次に行きますよ」という感じのマッチングがすごいなって感じました。
尾崎:タイミングと、自分自身がやっているので自分の心情が入ってくるし、糸というのは無いと駄目なもので、完全に全部切っちゃったら、人に相手にしてもらいたくてやっているので、それは絶妙なバランスですよね。さっきの嫌いな人に感謝してるというのもそうだし、そういう意味でもこの「イト」は大事だなと思いますね。
—-ホーンの使い方やイントロのギターも今までとは違いますよね。
尾崎:あれはたまたまギターの小川君が間違えたんです。それにして!って(笑)。
—-そういうのも運ですよね。なるべくしてああいう音になっているっていう。
すいません!かなり長いインタビューになってしまって。
尾崎:濃いインタビューでしたね!「イト」の話よりもそれまでのストーリーが重要ですよね。