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ЯeaL RyokoのЯesearch症候群!
- SPECIAL -

ЯeaL RyokoのЯesearch症候群!

eggmanをご覧の皆さんこんにちは、ЯeaLのVo/Gt.のRyokoです。

新年明けましておめでとうございます。

ちょっと、急なんですけど、私の家族のお話を今日はしたいと思います。
私の家は少し変わっていて、弟が小さい頃ガンにかかって私が小学生の高学年になるまで私はずっとおばあちゃんと暮らしていて。弟はずっと入院で闘病生活、父は仕事で休みの日に少し会ってお見舞いに、母は弟に付きっきりで1番寂しかった時におばあちゃんと二人きり、弟が生死を彷徨ってる怖さ、大切なものが一つづつ無くなっていく感覚を6歳とかの頃からかな?ずっと感じていて。
だから、幼少期の記憶も、四人で暮らした記憶も、ほとんどなくて。私の人生の記憶はほぼほぼバンドを始めたところからはじまっているんだけど。
それでも、幼少期の頃から感じていたけどきっと当たり前の「家族」ではなくて。四人で何か家族として温かい家庭にしたかった。でもそれはあまり叶わなくて。みんながみんな苦しくてみんながみんないっぱいいっぱいで。私もそんな家庭から逃げるように音楽に走って、だからどこにも居場所はなかったけど音楽だけは、拠り所だった。そんな中でも母は本当に精神ぐちゃぐちゃになってた私に沢山時間を割いていろんなことを許してくれて、出来る限りそばにいてくれていて。私が音楽で何か形にするたびに喜んでくれて。だから、私がもっと有名になったら、私の音楽がもっともっと力を持ったら、みんながまた一つになって家族になれるんじゃないかなって。ずっと思ってて。
苦しすぎて、私は逃げ出してしまったけど、それでも大好きだから、なんとか家族になりたくて。
そんな事を思いながら、上京して、数年経って、あまり家族に会う機会も無くなって。

まだ、何も返せてないのに、まだ何も伝えられてないのに、もっとたくさんあるのに。
母が倒れたっていう連絡が年末に来ました。
危篤の状態でずっと緊急治療室にいます。

コロナの関係で私は大阪に帰っても母には会えなくて、県外から家に帰ってしまうとそれまた隔離になってしまうから帰れなくて、東京の部屋でこれを書いてます。

もっと会っておけばよかったな、とか。大切だってこと伝えたかな?とか。もっと、って。沢山今は思ってます。

年明けにこんな暗い話をしてしまってごめんなさい!
でも、母には生きていてほしいし、今沢山後悔しています。
どうしても、どうしても書いておきたくて、もし家族と今一緒にいるなら沢山ありがとうを伝えてあげてください。私は、多分、何も、足りてない、から。

また、書くね。

Ryoko