ご無沙汰しております。サカキナオと申します。
春爛漫の折から、朧月夜の美しい頃となりまして、今コラムがこの世に発信される4月には桜の花が我々の世界に覆い被さるように咲き誇っていることでしょう。
ワタクシはと言いますと、コタツに籠城する猫より寒さに耐性が無い故に冬中、春の訪れを今か今かと待ち構えている3月を過ごしております。
さて、ここで問いたい。皆様は「一番春」に気づけますでしょうか。
はい、私気付けるのです。わかるのです。
そもそも「一番春」とはナンゾヤという問いが生じると思いますが、知らなくて当然。ワタクシが(たった今)生み出した造語でございます。つまるところ今年1番最初の春の訪れのことを指しているのであります。(以下「春の起点」とさせてイタダキ候)
春の起点の定義は、やれ立春だ、やれ春一番が吹くだと色々あると思いますが、ワタクシの中での定義はそれら全てを一蹴しまして、「春の匂い」がしたら、なのであります。コレ一択です。
なんとあやふやで抽象的で曖昧なんだという意見は当然出ますでしょうが、それらのお言葉は謙虚に受け止めることなくガン無視いたします。
なぜならおいどんこそが真の春マイスターであるから。
思えば毎年春の匂いを確認するたび友人らに「春が来た!!」と教えて差し上げるのですが、その際、様々な無礼な対応をされるのです。
まず1つが「はいはい」と言わんばかりの冷たい態度(というか言われている)。私の親切心に対してなんたる無礼か、しかしこの反応が圧倒的に多い。
次に「なんでそう思うの?」「花粉の飛散によって匂いでわかるだけでは?」などなど、理で詰めて追究してくるヤカラ。そんなことされても困ります。こっちだってそんな本気で潰しにくるだなんて思ってないですもの。面倒だよ。やめてよ。
そして最後にワタクシに張り合ってくるヤツ。「春の匂い分かるの」という我のセリフに対してワタシも、アチキも、チンもと群がる「自称春マイスター」がいるのです。今回のメインはこの手の厄介者たちでございます。しかし残念ながら彼奴等はニセモノです。なぜならおいどんがホンモノだから。
それでは小噺を。
とある年の春、この手のニセモノマイスターが私に「オイラも春、分かるよ」と豪語してきたのであります。まぁ特段珍しいことでもありません。「春が分かる」なんぞ言っちゃって、たまーーーにこういうイタイ方(以下コイツを「オイラ公」とする)がいらっしゃいます。おかしな話です。先述の通りワタクシこそが真の春マイスターなのでありますのに。
そのときもそれはそれは不毛な言い争い、というか誰がホンモノであるかをオイラ公に教えてあげているという状況でしたが、ハタと気付きました。
「あれ、コイツも己こそが真の春マイスターだと思ってね?」
この不毛な話し合いの中身に関して今回は割愛させていただきます。
ワタクシのコラム、回を重ねるごとに文量が増えていき、もう既に小噺なのか怪しいのであります。今回は意識してギュッと減量してスリムな身体を目指していくのだ。という心の表れとして、要らぬところは割愛させ(略
ただそのオイラ公は「匂いというか、、、」と煮え切らぬ返答でして、「オイラは匂いというより感覚かな」と。
なんとあやふやで、抽象的で、曖昧なことで春の起点を判断しているのだ。こちら皆様の気持ちを代弁させていただきました。
何を言ってるのかさっぱりなので、理で詰めて追究してみたところ、「感じ?というか空気の手触りかな」とのこと。
オイラ公曰く、冬から春に切り替わるタイミングで空気が柔らかくなる?滑らかになる?とかなんとかワケ分からんことを申しておりました。あ、美味しそうなとかも言ってましたわ。
、、、何を言っているのやら。そんな他者にロクに伝わり切れぬものを普通そんな主張できるものカネ。
とまぁ当時のワタクシの心を占める半分はこんな感じ。然れどもう半分は「五十歩百歩だなあ」とうーーっすら客観的真実が見えているのであります。
そう思うとなんだか私も気持ちが冷めていってしまいまして、この不毛な議論を早く終えてしまいたいところであります。てかそう思うということは同時に、先方のオイラ公も「五十歩百歩」どころかもはや五十歩と五十一歩くらいの差しかないことに気づいているはず。
ただしネックなのはお互いが「根拠はないのだけれど本当に春の起点が分かるのは我だ」と思ってしまっているところなのであります。どうにか折り合いをつけて、そしてお互いのプライドを保持した上での本日の解散(終電まで残り30分ほど)を目指さねば。オイラ公もそう思っているに違いない、、、。
それからアレコレと譲歩(確かに)→逆接(でもね)を駆使し、相手の意見を尊重した感→でもワタクシはこう思うを繰り返していたのですが、和解、というか穏便な勝利を目指して15分ほど経った頃でしょうか、「オイラ帰るわ」の号令とともに前触れもなく突然、議論に終止符が打たれたのです。
なんだろう、確かに早く終わらせたいと思っていた、、、でもね急にハシゴを外されたような、突き放されたような、この寂しいキモチ。
元来から私が飼育している寂しがりの虫が慰めるように身体を包み込んでくれるのですが、そのときの空気の「感じ」と言いましょうか「手触り」と言いましょうか、それが何を指すのかは分からないのですが、何かの節目、変化を身体で感じていたのでした。
後日譚として。
例の大事件、「春マイスター事変」から数年、先日ひょんなことでオイラ公から久々に連絡がきたのです。春に差し掛かろうとしているこのタイミングというのも何かの縁でございます。
どうやら奴の新たな門出の連絡だそう、わざわざえらく律儀なようで。
なにやら春が鼻を誘ってきそうな予感でございます。
メジロとウグイスの春のたけくらべ