ご無沙汰しております。サカキナオと申します。
9 ⽉も終わり 10 ⽉に⼊り、夏が息絶えたこの頃。ワタクシは魂を抜かれたような、というか命を脳天からブチブチブチと引っこ抜かれたような⼼持ちでおうち近くの通りに⽴っておりました。というか⾟うじて地⾯に刺さっている両⾜に胴体が⽀えられているだけのような意志のない⾝体がそこにはございました。
「いない、、、ひまわりがいない、、、昨⽇まで最後の 1 本が咲いていたのに、、、」
打ちひしがれるワタクシ。なんとも KAWAISOU
それでは⼩噺を。
最近⽜丼を⾷べることが多くてですね、 主に松◯屋にてもぐもぐしております、 ワタクシ。
基本はスタンダードな⽜めし。これが美味いのだああ。で、たまにネギたま⽜めし。これはもーーっと美味いのだああ。とまぁこんな具合に最近のちょっとしたマイブームと化している⽜丼。 もちろん安いところやどこにでも店を構えている⼿広さも良き点なのだが、 何よりも「早い」ってコト。 つまるところせっかちなワタクシの⼈間性との親和性が抜群なのだ。
「せっかち」の頂点に君臨するワタクシと、 瞬殺で提供される⽜丼の相性の良さというところでございましょうか。
さらにさらに、ワタクシは⾷事中にも「せっかち」を発揮するのだ!!
⾷事というメシを体内に注⼊する作業においてタイムロスなパートがあります。それは「咀嚼」でございます。
いやはやありゃ無駄な時間でございましょう。 空腹を早くどうにかしたいのだから削れるポイントは削らねば。⽜丼なんぞほぼ飲み物である故、並のサイズであれば 10 も咀嚼してないかと。
⾷における「せっかち」はコレに留まらず、 例えばカップ麺にしても規定の 3 分を待つのは困難を極め、 半分「かた焼きそば」の如く噛み応えのある仕上がりになってしまう。ちなみに特に不満はなく、「コレでも美味しいじゃん。早く⾷えてるだけめっちゃ得じゃん」状態なのであります。
これだけ時短⼈間なればさぞテキパキシゴデキ⼈間かと思いきやそうはいきませぬ。然れど奇妙なことに「後回し」という先ほどの「せっかち」と合わせまして得もいわれぬ 「⽭」と「盾」を携えているのです。
そんなワタクシの悲しき宿命をご理解していただき、今回の本題に⼊ろうかと思います。
そうです。ココからが本題なのです。
「わーーすごいきれいだあああ」
感嘆の声を上げながら眼前にあるのは夏の主役こと、ひまわり様。 それはそれはワタクシ虜なのでございます。
「ひまわり、、、⾷べちゃいたい、、、!!」
なんとも凛としているそのイデタチと、誰しもが遠ざけ逃げたくなるようなお天道 SUNの熱波をものともせず、むしろ顔を向けてノビノビと突き抜けているのです。
ワタクシそんなひまわりにドキドキメロメロなのです。しかもなんとなく美味しそうな⾒た⽬をしているのよネ、、、
出会いを遡りましょう。
ある⽇のことでございます。
近所をのっそのっそお散歩していましたらなんとびっくり、歩道の花壇にでっかいひま
わりさんが咲いているではありませんか!!思わず駆け寄ってしまいましたワタクシは愛
でるように下から舐め回しながら興奮のるつぼと化したのでございました。
「わーーすごいきれいだあああ、、、⾷べちゃいたい、、、!!」
それからというもの、ほぼ毎⽇のように通い婚いや逢瀬を続け、 密かに愛を育んでおりました。 (とはいってもいつもお出かけついで)しかし 9 ⽉に⼊るとひまわり様も段々と弱りはじめていき、1 本、そして 1 本と⼒尽きてもうお⽇様を⾒れないものが増えていく、、、ああ儚い、、、そして最後の 1 本となったのでした。
「こいつ、、、がんばってんな、、、よしまた明⽇ココを通るとき写真に納めよう。」
そのとき撮ればいいじゃんという声が多数聞こえてきそうですが、そうはいきません。いつものように予定まで時間ギリギリ chop だったのでございます。
そしてその次の⽇が冒頭の惨事です、、、最後のひまわりはいなくなっていたのです、、、
⽴ちすくむワタクシ。 前述のとおり命を脳天から引っこ抜かれたような「⼼ここに在らず」状態。ていうかなんかびっくり。
後悔しておりました。昨⽇の時点で撮っていればよかったのです。⼰の「後回し」の性質故このような事態に。というかなんとなく明⽇の⽣存を信じて疑わなかった浅はかさが出てしまったのです。いつこの命が尽きるかなんて誰も保証してくれないのに。
トボトボとおうちに帰るワタクシ。その背中はさながらおじいちゃんのよう。
然れどおうちに着いたあとなぜか奮い⽴ちます。
「もう⽇差しに勝てないというのに眩しそうに気合を⼊れて⾒上げていたあの最後の 1 本。みにいかなきゃ」
その最後の 1 本も朽ちていったがしかし、そこにはたしかに存在していたのです。ならば⾒に⾏かねば。 夏と仲良く息絶え絶えになりながらも、しぶとく⽣き続けた果ての勇姿を⾒に⾏かねば。そう枯れたひまわりに思いを馳せて、 来年の再会を誓うべく明⽇の早起きを⼰に課すのでした。
翌朝、 若⼲早起きには遅かったものの、そのためだけに家を出ました。 考えてみればいつも何かのついでにひまわりを⾒ていた気がするのであの⽅⽬的で家を出るなんぞ初めてではないか?何やら変なキモチ。 まぁその変なキモチを抱え歩くこと 2 分ほど、ワタクシ昨⽇よりもう 1 段階深く愕然といたしました。
「あれ、、、いない、、、ひまわりがいない、、、昨⽇までは、、、ココに、、、」
そこにあったはずの枯れたひまわりの残骸は根っこから引っこ抜かれて処理されていたのです。昨⽇のワタクシの命を引っこ抜かれたは⽐喩でしたが、コレはガチ。
ワタクシの中で急に具体的な後悔がやってきました。 昨⽇学んだハズなのに、 昨⽇そのまま最後の勇姿を撮ればよかったのでは。なぜ明⽇の朝なんぞ指定したのだろう。「後回し」にしたのだろう、、、等々の⽂⾔が脳内をすごい速さで回りはじめました。
そのとき例の⼰の性分を「せっかちなのに後回しにする」じゃなくて「後回しにするから切⽻詰まって急がなくてはいけなくなる」なんだな、となぜだか急に改めて思い直しました。
まぁちょくちょく周囲には指摘されてはいたのですが、⾃分から湧き出るように思った
のは、 初めてだったかも。というかなんとまぁ切ない切ない。 再会を誓うことすらできなかった、、、まぁ誓わずともまた会えるのでしょうが、 ⼰の性分に頭を掻きながらこのちょいとおセンチな 9 ⽉とお別れするのでございました。
では今⽉はこのへんで。駄⽂失礼いたしました。さらば。
こいつが斬⾸、無念また来年。