M1.「ミライ」
これは以前リリースしている楽曲「Walk」のアンサーソングのつもりで書きました。「Walk」で歌っているのは、挫折と希望が隣り合わせな世界。その中で自分らしさを知れるきっかけって何?って問われたとき、当時の僕にとっては「自分を信じてくれる人がいることに気づけること」でした。希望ばっかじゃないけど、自分を信じること=自分を信じてくれる仲間を信じること。そんな曲です。今回の楽曲「ミライ」も相変わらず光を多く歌うことはなく、挫折多め。でももはや理由なんてなくて、きっかけなんてなくて、ただただ無我夢中に真っ直ぐ進めたらいいなって。
僕は20歳くらいから東京で音楽をやってきましたが、「俺には音楽しかないから」と思ったことは一度もありません。何をそれなりにやっていけると思いながら、それでも音楽を選び自分でいたかった。なのに、今になってもっと真っ直ぐ音楽に向き合ってたいなと思うんです。理由なんてないけど、逆を言えば、頑張る理由なんて探さなくても目の前にある。そんな感じです。
一番のリスニングポイントは冒頭かな。雑踏の中でこんな風になるのって、本当に心が折れそうなとき。周りの目なんて気にならないくらい、ぼーっと座り込んでしまったとき、普段と1メートル程度しか視線が変わらないのに、全てが違って、遠く、大きく見えたとき、全部諦めそうになる。真っ暗な絶望ではなく、太陽も出てるしボロボロでもないけど日常で誰にでもある諦めを表現したかったのですが、結構しっかりと表せたかなと。
1サビの「足音が減る未来」は、一緒に歩んできた仲間がどんどん減って行くこと。それぞれの道に進んでいくことも喜びに変えていくには、何が正解なんだろうと考える日々です。
こんだけ書いといてなんですが、この曲は聴く人に、いいように使って欲しいです。身勝手に解釈してもらって大丈夫。自分に都合のいいように解釈して、聴きたい時に聴いてください。どこかできっと力になれると思います。
M2.「眠り」
これは命の歌です。人の死を歌いました。
今一番説得力があるというか、嘘をつかずに素直に向き合えるテーマがこれ。
仲間の死、家族の死、両親の死、ペットの死、知りもしない誰かの死、テレビの向こうの有名人の死。そして自分の死。一生向き合っていかなければいけないこのテーマを書いて行くことが、自分の音楽の大きな領域を占めると思います。
一番最初に完成したのはイントロ。刹那を連想させる音を選びながら作りました。このイントロの耳からの距離感を作った理由は2つ。、身近な人だけでなく遠くにいる大切な人のことも連想して欲しかったから。
もう一つは一生向き合わなきゃいけないはずのテーマなのに、忘れがちなこと。常に少し遠くに置いちゃってるよね?ってことをいいたかったから。
「失ってからしか気づけない」なんてよく言うし、失った時はものすごく悲しんで何かを決意するはずなのに、その気持ちさえいつの間にか忘れ去ってしまうのが、僕らなんだなーと日々思います。それを書きたかったし、思い出すきっかけを一回でも多く作りたくて、「人の死」や「何かの終わり」を書いていきたいなと。
ネガティブにではなく、それで本当に変わることができたら、一個悲しみを減らせるんじゃないかと思うのです。向き合っているようで常に向き合ってない。
どこかで「悲しみに浸かった人生をすごしたい」と思ってしまってるから、本当に大切な人を失っても気づけないんだぞ!と。そんな説教みたいな意味も込めてます。
こんな2曲です。