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浦沢直樹 インタビュー後編
- SPECIAL -

浦沢直樹 インタビュー後編

「20世紀少年」や「YAWARA!」「MONSTER」などの著者である浦沢直樹先生への連続インタビュー。
後編では先生のルーツや音楽へのこだわりなどに迫ったコアなインタビューとなりました!
前編に引き続き必読です!!!

※インタビュアー:井上秀隆/shibuya eggman

井上:前回のインタビューではご自身の好きなマイナーなものをメジャーなフィールドにもちこみたかったというお話しをうかがったんですが、絵を描き始めたきっかけはどういうところだんでしょうか?

浦沢:絵を描くこと自体は物心ついたときには既にやってましたね。小学3年生のときにはノート1冊分の長編マンガを描いてました。

井上:そんな頃からですか!?ストーリーをつけてマンガにするのはすごく難しいですよね?

浦沢:物心ついたときからずっとやっていた作業なのでそういった感覚はあまりないですね。考え込んで作ってるわけではないです。どのアングルでカメラを置けば伝わりやすいかなどは自然と出てきます。構成や見やすいセリフ運びなどもあまり考えてないです。

井上:先生の幼少期にはマンガを描くための教材とかはないですよね?

浦沢:マンガの描き方のような教則本はいくつかありましたけど、特にマンガを描くことを勉強したことはないです。

井上:ということはマンガを読んで自然に身につけていったということですか?

浦沢:そうですね。手塚治虫先生の時代から大友克洋先生の時代までリアルタイムでずーっと体感してきたので、この時代はこういう感じ、この漫画家さんはこういう感じというそれぞれの時代の作風が身体に染みついています。音楽もそうだとは思うのですがジョン・レノンの転調がこうとかボブ・ディランがメロディアスにするとこうなるとかという概念がミュージシャンに染みついているのと全く一緒なんです。だからマンガを描くというのは考え込むというより自然とわき出すのを待つというような感じ。ずーっとやっているものなので食事を1日3食とるとかそういう感覚に近いかもしれないです。

井上:今のお話しの中にマンガ家とミュージシャンとの共通項があったと思うのですが、マンガを描くということと音楽を作るということは感覚や考え方を含めて似ていますか?

浦沢:絵を描くこととメロディを作ることは似ていると思います。そしてそれらの物にストーリーをつけることと歌詞を書くことも似ていると思います。絵やメロディというのはどんどん浮かんでくるんですよ。僕も実際のマンガに出てこないキャラクターはたくさん描いていますしね。これは自分の為であり自分の楽しみなんですよねきっと。ただ、これを使ってお客さんに対してパフォーマンスするときにストーリーも歌詞も必要になってくるんですよ。自分で楽しむだけなら適当な英語やハミングで歌ったりすればいいですが、やはりお客さんに伝えようと思うと歌詞が必要ですからね。マンガもそれと同じで絵が描いてあるだけだと伝わらない世界観だったりをストーリーをつけることで伝えるんです。なので相手とのコミュニケーションツールとしてストーリーと歌詞をつける感じですね。

井上:やはりお客さんに対して作品を作るという創作活動としては共通することが多いんですね。実際に音楽活動も行っている浦沢先生の音楽に対するこだわりとかを少し聞かせてほしいです。

浦沢:マンガ家が音楽をやるというと、リズムは打ち込みでそれに合わせて細々とみたいなイメージが持たれがちなので、「こんなに凄い編成でやるの!?」とか「こんなにぶっとい音でしっかり作るの!?」というような大きいインパクトをお客さんに与えないと僕の本気度が伝わらないような気がしたんですよ。

井上:確かに浦沢先生のCDを聞くと本気度がすぐに伝わります。

浦沢:もちろんですよ。遊びじゃないんだぞって感じです(笑)一同爆笑

井上:僕が感じたのはテンポ感が古い感じがせずにすごく心地よく飽きない感じでしっかり作られてるなと思いました。

浦沢:プロデューサーの和久井光司氏が古い音楽をいかに現代でうまく鳴らすかというのを研究家なんですよ。僕らが聞いていた時代の音楽を今一番良い状態で鳴らすにはどうしたらいいかということをすごく考えて話し合いながらアレンジしている成果ですね。

井上:新しい音楽と古い音楽がすごく良い感じでミックスされていて懐かしい気持ちになりつつも新鮮な部分もありますよね。それはやはり先生が聞いてきた音楽の影響が強いですか?

浦沢:そうですね。レコーディングしながら話にも出たんですけど、1973年くらいにこういったファンキーな音楽が芽生えた瞬間があってそのあともっとドス黒い方向にいくかと思ったんですが、74年から75年くらいでニューミュージックになっていったんですよ。その狭間くらいの一番ドス黒い感じの雰囲気に近いと思います。吉田拓郎さんの『たくろうLIVE’73』という作品があるのですがこういう感じの音なんですよ。

井上:なるほどー。そういった音楽のルーツが『20世紀少年』といった作品に色濃く反映されているんですね。マンガに音楽にと幅広く活動されている先生は天才と称されることも多いと思いますが、天才というものは存在すると思いますか?

浦沢:天才というのはスーッと1本の線を引くだけで世の中を変えてしまうような人ですかね。例えば手塚先生や大友先生はそうなんですよ。音楽でもそうですがジョン・レノンが歌いだしでがなった瞬間に世界中の人の心を動かしましたよね。その1本の線や歌いだしで何万人の人の心をワーッと動かさせて、多くの人の人生観をひっくり返してしまうような人は天才だと思います。

井上:それは先天的なものだと思いますか?それとも努力の結果でしょうか?

浦沢:先ほど挙げた方々の常人では到底理解できないような作品に対する愛情の爆発とその時代にその人が存在したという運命の掛け算によるものだと思います。そういった人たちを天才と言うんじゃないでしょうかね。

井上:やはり浦沢先生も天才だと私は思うのですが…。

浦沢:本当に改革した人たちを僕は知っているので、僕なんかはそれを受け継いで次の世代に繋げていこうというくらいのものですよ。発明者というか本当の革命者は概念を変えているんです。手塚先生が描いた『新宝島』が当時駄菓子屋で発売されたときにその本がビカーっと光って見えたとトキワ荘の方々が言っているくらいですから。きっとその方々はそこで人生が変わってるんです。

井上:その体験で人生が変わった偉人たちが後々に数々の名作マンガを世に生みだすんですもんね。

浦沢:そうやって世界は変わりそれを引き継いでという感じですね。ちなみに僕が人生が変わった瞬間は2回あるんですよ。1つは1974年にボブ・ディランの『偉大なる復活』というライブアルバムを聞いたときに雷が落ちたような感覚を受けました。その夜からなにかが変わったんですよね。当時中3だったんですが、大人になった感覚でした。あと一つは13歳の時に手塚先生の『火の鳥』を読んであまりの凄さに言葉を失って読み終わった後ずっとボーっとしてしまって気が付いたら日が暮れていたんですよ。このインタビューを読んだ方々にも最初の”黎明編”から順番に読んでいってほしいです。”未来編”に入った時の大過去からの大未来への展開はもう訳がわからなくなってしまうような感覚にすらなりますよ。

井上:怖くなるくらいですよね。

浦沢:あのマンガのスケールの大きさに驚愕して入り込んじゃいますね。もしかしたらその2日が僕にとっての成人式だったのかもしれないなと今では思います。そのあとからの僕と今の僕とでは考え方などで大きな違いはないような気がします。あのとき思ったことは今でも僕の中での根幹ですね。

井上:今回は貴重なお話しをありがとうございます。先生のおかげで30周年が良いスタートを切ることができました。僕たちも音楽業界の流れを次世代に引き継いでいけるように頑張っていこうと思います。本当にありがとうございました!!