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稚菜 interview
- SPECIAL -

稚菜 interview

水面で乱反射する自然光の様な限りなく透明に近い歌声と、シンプルに綴られた言葉。冷静な容姿の内側で揺れ動く心情は歌に込められ発せられ、初めて外気に触れる。まっすぐなこころが眼差しに宿るシンガーソングライター稚菜のデビューミニアルバム「歌唄いの詩」は、ひととの繋がりから生まれたいくつかの強い願いを描写したノンフィクションストーリー。

Interview & Text : 鞘師 至

―今作「歌唄いの詩」はデビュー作となりますが、稚菜さんが歌を歌い始めたのはいつからですか?

稚菜 ( 以下”W” ): 高校が単位制の学校で、3年になると選択授業があるんですが、それが文系理系など専門が別れるタイミングで、元々持っていた獣医になるっていう夢と、好きだった歌、どちらか一本に絞る必要が出て来たんです。その時に歌を選んだ事が、歌唄いとしてのスタートだったと思います。 ずいぶん悩んだんですよ、その選択。でもその時期にコブクロとかりゆし58に出会って、曲を通して「自分の想った道を進めばいい」っていうことを教えてもらったのがきっかけで、本当に自分のやりたい事って何だろうって考えたら「私はやっぱり歌いたい!」って再確認出来たんです。そこからボイストレーニングに通い始めて、音楽専門学校に進学して、卒業してライブハウスでもライブするようになって色々な出会いがあり今回のリリースに至ってます。

-本作冒頭曲「愛歌 -アイノウタ- (M1)」は生きづらい世界でも強く生きていく、というような応援メッセージが込められた詩ですが、今稚菜さんを取り巻く環境はご自身にとってどう写っていますか?

W: 私、地元が静岡なんですけど、だいぶ前から東京に住んでいて、やっぱり生きづらいと感じることはありますね。きっと同じように感じてる人がいるんだろうなと思っていて、共感してくれたら、と思って書いた曲です。東京にいると疲れちゃって、たまに静岡に息抜きしに帰ったりしてます。

-どちらかというとご自身に言い聞かせている曲ですか?

W: そうですね、いつもなんですけど私、自分の気持ちを消化させるために曲を書いてるんですよ。その時に思ったことを一気に書いて完成させるんです。「愛歌 -アイノウタ-」もそう。失恋ソングとかでも、その時の気持ちを消化させて、次に進む為に書いていたり。そういう気持ちの整理の為に曲を書く事が多いです。

-吐き出して気持ちを整理してるんですね。「最後の応援歌 (M4)」は恋愛ソングですが、これも実体験?

W: (笑) そうです、実体験です。女の子ですからね、こういうのもありますよ(笑)。

-でも話題に触れられるのは恥ずかしいんですね(笑)。 「唄と音楽と(M3)」は聴く人に音楽の楽しさが伝わりそうな明るい曲ですが、どんな実体験からできた曲?

W: この曲は私がカンボジアに行った時に感じた事を書いた曲です。昔からやりたかったことがあって、恵まれない環境で生きている国のこども達に会いにいって一緒に歌を歌うって事なんですけど、去年それがやっとできたんです。その時、言葉も通じない全然違う環境で生きている子達と歌を通して気持ちが繋がり合えたと思える瞬間があって、その時の事を歌った曲です。

-カンボジアでの活動には何かきっかけがあったんですか?

W: 私、小さい頃から何故か戦争に関する話が強く頭に残る事が多かったんです。のんびりできる場所が好きで、沖縄によく足を運んでいて、そこでよく話を聞いていたからっていう事もあるかもしれないですけど、海外での戦争、日本での戦争、どちらも話を聞いて今の自分が生きてる環境のことを色々考えるようになったし、実際に自分が体験していない事だけど、自分なりに感じることがあって、小さな事でもいいからいつか自分が戦争の歴史や経済の理由などで恵まれない環境で生きる人たちへ、何かできる事が見つけられたらって思っていたんです。その時たまたま見たTV番組で戦争中の地域の事が放送されていて、毎日生きるのに精一杯な環境にも関わらず夢を語るこども達のすごくキラキラした目がとても印象に残りました。私と比べたら想像超える程過酷な環境に暮らしてるのに、この子たちすごい、って感動したんです。そういう子達に会って話をしてみたい、って思いました。会えたらせめてそういう子たちが平和な気持ちでいられる時間が少しでも多く持てるように何か楽しいことを教えてあげたい、って。自分にできることなんて限られていて、歌を歌うことくらいだから、どういう貢献ができるかなんて分からないけど、まずそういう土地に行ってみて、こども達と一緒に歌ってみようって決めたんです。去年久しぶりにあった友人に「やりたいことがあるんだったら絶対その気持ちが一番強いうちにやったほうがいい」って後押しされたのもあってすぐに行かせてもらえる場所を海外で探して、航空チケットを取りました。

-カンボジアでは現地の子達はどんな反応でした?

W: 私が行ったのが小学校で、立派な教室なんてない簡易的な作りの場所で鍵盤ハーモニカを吹きながらみんなで合唱したんですが、すごく楽しんでくれたのが嬉しかったです。同じ学年でもそれぞれ家の手伝いや仕事をしながら学校へ通っているので、どうしても生活を優先すると出席日数の都合で留年し続ける子がいて、同じ学年でも年齢差があって小さい子から大きい子までいる、という状況で、みんな一緒になって歌いました。内戦があった10年前くらいまで、その地域では音楽や踊りなどが一切禁止されていたそうなんですよ。戦争から明けて新しい時代を作るために古い伝統の文化を継承する事に対して否定的な政策があったようで。だからみんな歌う事に慣れていなくて、ドレミが歌えない、音程が取れないんですけど、目がすごいキラキラしてるんですよ、食らい付いて離さない、みたいな感じ。

- 一番印象に残ったのはどんな事?

W: こども達がすごく前向きに生きてた事ですね。音楽の授業として私が学校に行った時には現地の通訳の先生が最初にこども達を集めてくれて、お互いの挨拶がてらで「何人兄弟ですか?」とかいろいろこども達に質問をしてくれるんですが、その中で通訳の先生が「今あなた達は幸せですか?」と聞いた時に間髪入れずにみんな「幸せです!」って答えるんですよ。日本だったらおそらく同じ質問があっても大人もこどもも一旦考え込むな、と思ったんですよね、本当に幸せかどうか。カンボジアと日本を比較したら食べるものがなかったり、行きたくても学校に行けなかったり、正直現地の子達のほうがきつい生活をしてるけど、「生きてるだけで幸せ」って迷いなく言える素直さがすごいな、って。それを聞いた時に涙が止まらなくなりました。

-貴重な経験だったんですね。これからもまた行ってその子達にまた音楽を教えたりするんですか?

W: そうしたいですね。学校で一緒に歌った子の中にはすごい興味深々でどんどん質問してくる子もいて、歌をもっとやりたいって言う子もいたんで、そういう子の為にもまた行って一緒に音楽したいですし、向こうに行って思った事なんですけど、最終的にはカンボジアに学校を作りたいっていう夢もできました。

-「戦火の詩 (M5)」はそれこそ戦争が題材の曲ですね。

W: この曲は本当に何か特定の出来事が自分にあって書いた訳ではなく、自分が昔から感じている戦争への思いから書いたもので、今の時代の日本で生きてる上で自分を含めてやっぱり忘れちゃいけない大切なことを忘れそうになることって多々あると思うんですよ。だからいつまでも忘れない為に、戦争が与えたものにちゃんと向き合う為に曲として残したい、って思った時に歌詞もメロディーも、一気に全部出てきたんです。今までに見てきたもの、感じたものから自然に生まれたのかな、って思います。自分や聴いてくれる人に何か残せる曲にしたいと思ったんで、もう暗くなるのを覚悟で作りました。曲を作る時ってやっぱり奇麗な曲を作りたいし、暗いのなんてとっつきにくいから避けがちなんですよね。でもこの曲だけは、目を反らさずに現実を捉える曲にしたかったから、暗くていいんです(笑)。

-今作のミニアルバム、希望の詩や恋の詩、戦争の詩など題材がかなり多岐に渡っていますが、ご自身ではどんなアルバムになったと感じますか?

W: ひとつひとつの曲に、いままで生きた中でいろんな人と出会って感じた私の本当の気持ちが込められたと思うんで、アルバム全体を通して稚菜っていう存在を知ってもらえる作品になったと思います。

-これから先は、何を歌っていきたい?

W: やっぱりひととの繋がりを歌いたいですね。独りでは生きていけないから、この先でも出会う人と過ごす時間の中で感じることを詩にしていきたいです。日本だけに限らずに、前回行ったカンボジアもそうだし、場所や環境にこだわらずいろんな場面での出会いでいろいろ感じたいし、歌っていきたい。直近でわくわくするライブも決まってるし、楽しみながら少しでも多くの人に曲を聴いてもらえるようがんばって歌っていきます。