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MINAMI NiNE interview
- SPECIAL -

MINAMI NiNE interview

宮﨑発→東京経由→全国行き。 郷土が生んだ独特な南国フレイバーメロディーがアイコンの宮崎出身3ピースバンドMINAMI NiNE。 J-ROCK、メロコアから、演歌や民謡まで、これまでに彼等が周囲から浴びて来た音楽影響の全てが、彼等にとっては大切なピースのひとつ。 タフめな見た目と、優しい世界観の歌詞や歌声のギャップも含めて、彼らのセルフブランディングは本人達が気づかないうちに結成時から完成されていたのかもしれない、と思うほど自然で力強い。 今作は、「昔から変わっていない」と話す彼らの音楽性やメッセージ性の軸の部分を捉えたアンセム的な作品だ。 バンド結成当初、地元で夢見た全国を駆け巡るバンドマン側に、今度は自分たちがなって地方のキッズたちに夢を運びまくる番がやって来た訳だ。 記念すべきメジャー第一弾リリース、前進しても軸がブレない彼らの活動姿勢は至って勇ましい。

Interview & Text : 鞘師 至

MINAMI NiNE、やはりメジャーデビュー1作目の今作でもこれまでと変わらない、独特の音楽センスがまず耳に残りますが、皆さんの音楽のルーツは何ですか?

■ヒロキ(Vo/Ba 以下“H” ): 青春時代に一番どハマりしてたのがMONGOL800のファーストで、僕らが中学生の時でしたね。 同時期にGOING STEADYも流行ってたり。 その時代に聴いてた音楽が今の僕らの音楽の土台を作ってくれてると思います。

—周囲には近しい音楽性のバンドが沢山居たんですか?

■H: 宮崎にはあんまりメロコアを通ってるようなバンドが多くなかったかな…。
■スケロク(Dr/Cho 以下“S”): 同じような音楽に出会うまでの情報源がまず少なかったんだと思いますね。

—みなさんにとっての当時の情報源は?

■S: 「バンやろ」(音楽雑誌「BANDやろうぜ」)ですね。 毎月本屋さんに通ってたなぁ(笑)、まだインターネットも今ほど携帯で普及してなかった時代だったんで。 中学時代時はGLAYとかLArc-en-Cielとかの情報が欲しくて買ってた「バンやろ」なんですけど、その後AIR JAM2000があって、Hi-STANDERDの人気が凄くなってきて、そういうメロコア周辺の音楽を特集し始めたんですよ。 そこで今の僕らに親和性のある音楽を一気に知ることになって。

■H:他にも「STREET ROCK FILE」っていう雑誌もよく読んでましたね。 付録で付いてくるCDに入ってる曲の中で気に入ったものを、街に出た時に一気にCDショップで買う、っていうのが僕の一番の趣味でした。
■ワラビノ(Gt/Cho 以下“W”): 宮崎では東京とかで放送されてるTV番組があんまり流れてないんですけど、TV番組だったら当時数少ない音楽情報源としては再、再放送位で遅れて放送されてた「BREAK OUT」が貴重でしたね(笑)。 
■H: 真夜中にやってたのを一週間の唯一の楽しみにして見てましたね。 

—その時代の良き盛り上がりをガッチリ押さえてたんですね。 ちなみに先日発表されたMINAMI NiNEのツアーの対バンには、SHACHI, NUBO, SABOTENなどが… 同期じゃないですよね? 学生の時の皆さんの情報源でよく名前を目にしてた先輩の世代、というか。 対バンでの繋がりがあったんですか?

■H: そうですね、地元で高校時代にやってたバンドの時に、ライブハウスでライブをするきっかけをくれたのがSHACHIでした。 それまでは公民館でしかやった事なかったんで。

— …公民館?!

■H: そうなんですよ(笑)、地元にはライブハウスがないんで、当時の自分はライブってみんな公民館でやってるもんだと思ってました(笑)。 そこに20W位のちっちゃ〜いアンプを持ち込んでライブしてましたね。 照明機材もないんで、当時流行ってたハロゲンヒーターを各家庭から持ち寄って照明代わりにステージを照らして、そのオレンジ色の明かりでライブするんですけど、夏場めちゃくちゃ暑いんですよ(笑)。

—宮崎で夏場、部屋締め切ってハロゲンヒーターガン焚き…そりゃそうですね…(笑)。

■H: でもその公民館で味占めちゃって(笑)、その時から好きだったSHACHIのホームページから「次、宮崎に来る時は対バンしてください!」ってメールを送ったんですよ。 そしたら「普段どこのライブハウスでやってるの?」って返事をくれて、「いや、公民館でやってます!」って返したら、そこからSHACHIがライブハウスに「次の俺たちのツアーの宮崎でトップバッターにこの子らを出させてやってくれ」って話を通してくれて、ライブハウスデビューできたっていう。 初めてのライブハウスはめちゃくや興奮しましたね、本物のリハとか…。

—本物の、「リハ」…(笑)。

■W: リハのやり方が分からなかったんで、新鮮だったんですよ(笑)。
■H: 今までモニタースピーカーなんて見たことないんで、「スピーカーが客席じゃなくて俺らの方向いてる!なんだこれは…」みたいな(笑)。 

—がっつり地元で培っていったんですね、今のバンドの土台を。 ちなみに音楽性について。 南国フレーバーのメロディーセンスはやっぱり地元で培われていったんですか?

■H: 民謡とか、演歌とか、歌謡曲がずっと流れてる街で育ったんで、そういうところからの影響はあるのかもしれないですね。 地元には河川プールっていう自然の川を無理矢理プールにしたような場所があって、監視員がおじいちゃんなんで、一日中でっかいスピーカーで演歌を流してるんですよね。

—B-Boyの路上ラジカセと同じ原理ですね…

■H: ほんとそうなんですよ(笑)、でももしかしたらそういう経験から、演歌とか民謡、歌謡曲とかのメロディーが子供の頃から染み付いててこうなったのかな、って。 凄いんですよ、J-POPと比べて音符のメロディーの流れが上から下までしょっちゅう動いて。 歌メロで凄くたくさんの音符を使うんですよね。 自分たちの音楽もそういう節があるんで、少なからず影響を受けてるのかな、と思います。

—楽曲には全面的にアコギの音が入ってますが、作曲はアコギと歌で弾き語り的な作り方をするんですか?

■H: 僕はですね、ベースと口笛で全部作ります。 だから歌わないで作るんですけど、ずっとこのやり方で作ってきて思うのは、このベースラインと口笛っていうめちゃくちゃショボいシンプルな形で作るのが逆に良くて、この段階で自分で良いって思える曲は、結果的に肉付けして行った後、いい曲に仕上がることがほとんどなんですよ。 軸のメロディーがこの段階で決まってて、飾りがなくても良いって思えるものは、曲の説得力が強いんですよね。 ただ小さい頃はフォーク育ちだったんで、ギターで歌ってましたけどね。 親父が聞いてたかぐや姫とか、オフコースとかを、親父のギターを借りて、昔親父が使ってた楽譜を見ながら弾き語りして、それを親父に聴かせる、っていう。 だからその時代の歌とかギターの感じっていうのも、きっと今のこのバンドの音楽に繋がってますよね。

—自分のルーツに嘘がない感じの音楽を今やってるのがかっこいいですね。 

■H: 確かに音楽遍歴には正直にやってきましたね。 今回の「帰り道」(M4)なんかは特に、当時の僕が聞いてた音楽の感じに寄った楽曲だと思います。 

—活動7年目、リリースはこれで3作目。 今作の曲は全て最近作られた曲ですか?

■H: 「Over and over」(M1)と「Niar」(M3)は5年位前からずっとライブで演奏してた曲で、それ以外は最近の曲です。 「Over and over」と「Niar」はずっとお客さんから良い曲だって言ってもらえてた曲なんで、そんなに言うならきっといい曲なんでしょう!ということで今回ようやく収録しました。

—超客観的(笑)。

■H: もちろん作ってる方もいい曲だと思ってますよ(笑)! でも僕らからしたら全曲いい曲だと思って作ってるから。 それでも全国リリースされてない曲が5年もずっと評価され続けてるんだったら、きっとその中でも皆さんに届いてくれてる曲なんだな、って。 

—歌詞に関しては、どんなシチュエーションで出来たものですか?

■H: 今回の収録曲に関しては、縁とか繋がりを大切にしたいっていうメッセージをコンセプトにしたアルバムにしたいと思って、タイトルも『LINKS』と名付けたんですけど、歌詞に関してもその都度自分が思った事や感情の中でも、人の繋がりにフォーカスした意識でまとめていった感じです。

—歌詞で書いている事って、宮崎にいた頃と東京に来てから、少しずつ変わっていってますか?

■H: それがですね、全く変わってないかな(笑)。 地元にいた時のバンドの曲を今このバンドで歌っても違和感ないと思いますね。 これからも変わらないような気もしてます。

ー楽曲に関しては東京暮らしから受けた影響は?

■H: サウンド面と、バンド活動に対する野心みたいなアッパーなテンション感のものは、東京で暮らして初めて得たものだと思います。 地元にいた時は家族の元で守られてた生活が、東京で初めて自分自身で歯を食いしばって生きてくっていう事が必要になったり、そのなかで「よっしゃ、やってやる!」って気が引き締まったり。 「Start」(M2)のハイテンションな楽曲、ああいうのはひょっとしたら東京に来てなかったらやれてなかった感じの曲かもしれないですね。

—「恋」(M5)は「恋んトス」OPテーマ。 益々全国展開が進むきっかけとなる感じがしますが、この先このバンドでやり遂げたいことってどんな事?

■H: 今、東京に住んでるんで、ツアーで地元宮崎に帰る度に、やっぱり宮崎はめっちゃいいところだな、って思うんです。 だからいろんな人に宮崎に来て欲しいんですよね。 自分達がもっともっと大きくなったら、自分達主催で宮崎のフェスをやってみたいんですよ。 全国からお客さんに来てもらって、フェスの前後日程はちゃんと予定空けておいてもらって、宮崎のビーチでBBQとかも体験してもらいたいし(笑)。 自分が地元にいた時、いろんなバンドがツアーで九州に来るんですけど、他の県には行って、自分たちが住んでる宮崎には来てくれない、っていう事がよくあって、悔しかったんで、僕らに求心力が付いて「MINAMI NiNEが来い!って行ってるから行こうぜ」って宮崎といろんなバンドと、それを見に来るお客さんを繋げられるきっかけを作れたら最高ですね。 それを見て数少ない宮崎の若い子たちが、楽器屋に走って楽器買って、バンド始めてくれたらいいな、って。 今から色々夢膨らんでます。