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藍坊主 Interview
- SPECIAL -

藍坊主 Interview

デビューから15年、初期衝動の爆発力でスタートした音楽性をプレイヤーの心情に忠実に変化させながらも、時の音楽性などには流されず、というか気にせず自分たちの感覚を大切に育んできて今2019年、幾度か脱皮して最新形態となった藍坊主のニューミニアルバム『燃えない化石』が完成した。 フロントマンhozzyの心の移り変わりをそのまま見ているかのような、人間味豊かな作品が過去続く中でも一際あったかく、このDTMミュージックが広がっていく現代においても消えない人間の魅力を今まで通り、かつ今最新の感覚で描写する力強さを感じる作品だ。 千と万といるミュージシャンが時代ごとで体積して音楽歴が層になって重なっていく時の流れの中で、ひとつのバンドの音楽が時代の層が変わっても変わらない音楽性を貫き通してひとつの塔になっていく様を見ているようだ。 自己理解の先にある、一種の悟りみたいな穏やかながらにずっと燃え続けている熱意が音楽からくっついて離れない。 これは単に音として僕らの鼓膜を動かす空気のゆらぎと言うよりは、学生を過ぎても変わらず野郎数名でチームを組んで夢を追いかける集団の、生き様のようなものに近いと思う。

Interview & Text : 鞘師 至

ー CDデビューから15年ですね。 長い間バンドやってきてる訳じゃないですか、初期から時代を経て音楽性に関しては軸ありつつも少しずつ変化してきたと思うんですけど、今回の作品はなんていうか、藍坊主第3期な気がしました。 初期衝動の第1期、迷いと進化欲の第二期、悟りの第3期、みたいな。 hozzyさんが自分を理解していく過程を見ているような感じ。

■hozzy (Vo/Gt) : 気持ちの部分は今回正にそんな感じですね。 今回に限っていうと、7曲中5曲俺が書いていて、詞も6曲俺なんですよね。 いつもはベースの藤森と大体半分くらいずつ作ってるくらいのペースだったんですけど、今回は何で俺がそんなにやる気になれたかっていうと、まず一番大きいのが、初期って自分の作りたいものだけを作るじゃないですか、まぁ当然なんですけど。 で、そこから時間を重ねていくとそういうやりたい事っていうのがだんだんなくなってきたり、そこから悩んで、っていうのを経てやってきて、一旦「俺、もういいかな、音楽作らなくて」くらいまで思ってた時期もあったんですよ。 それこそ前回インタビューでお会いした時は、そのもういいかな期を抜けた直後くらいだったんですけど。

ー あの頃は事務所の体制が変わったりとか、色々大変な時期でしたからね。

■hozzy: ほんとそうですね…(笑)。 で、「どうなるか分からないけど、まだやってみるか!」って半分強引に希望を見るような感じで再出発だったんですけど、そこからひとつ前の作品を出して。 そのくらいのタイミングからですかね、ファンの人からはもちろんなんですけど、バンドマンとか関係者の人たちからも含めて、「暫く藍坊主聴いてなかったけど、最近また聴き始めた」っていう声を聞くことが増えたんですよ。 それは単純にまた人に響く曲が書けるようになってきたのかな、って思って。 自分でも「これ響くかもな」、って思えるような曲ができたりもして。 これって意図して出来た訳じゃなくて、その時結果的に出来たものだったんですけど、なんかそれでまたスイッチ入ったんですよね。 その位の時期から、特に去年かな、お客さんから「作ってくれてありがとうございます」とか、周りの関係者、バンドマンとかから「実は藍坊主めっちゃ好き」とか、言って下さるのを直接聞けるタイミングが続いて。 今までそういう声って直接自分たちに入ってくる機会がなかったもんだから、純粋にすごく嬉しくて報われたんですよね。 しかもすごく熱く語ってくれる人がいたりして。 それまではそういう声を聞くタイミングがないのもそうだし、自分的にもそういう声を欲しがって貰う為に活動するもんじゃないしな、取り合えず自分はそんなの意識せずに自分の音楽を作り続けよう、って思うタイプだったんで、意識自体してなかったんですけどね。 でもやっぱりそういう反応をもらえると人間嬉しいもんなんですね、そこからまた音楽やり続けよう、って思える原動力になっていきました。 今回の作品は、自分が作りたい音楽を突き詰めるっていう気持ちよりも、この音楽を好きでいてくれる人たちから貰った報われる気持ちとか、創作意欲とかのお返しって言えばいいのかな、恩返ししたいと思ったんですよ。 そういう人たちが喜んでくれる音楽を作りたい、っていう気持ちの方が優ってましたね。 かと言って狙い過ぎたらもちろん違うものになってしまうから、あくまで自分なりの音楽性の延長線上の音楽として、っていう前提ですけどね。 そういう人たちに共通する欲しがってるものっていうのがビンビン伝わってきてたんで(笑)、藍坊主のどこが好きなのか、っていうのは前よりもクリアに理解した状態で曲が作れましたね。 歌に関しても、否定的なことを歌い続けるのは俺自身聞いてて辛いし(笑)、綺麗事を言うつもりではないけど、でもネガティブなものも見方を変えれば全部表裏なんで、なにか前向きなものも見えてくるし、ここまで歳重ねてきて今俺が「世間クソ!」とか言うのはリアルじゃないな、と(笑)。 もうそういうのは若者に任せよう、と思って(笑)。 

ー 若い時の方がヘイトにフォーカスしがちだし、逆に歳を追う毎に与えられる愛情に純粋に喜び感じるようになってきますよね。

■hozzy : そうだし、逆に大人になってから音楽やる意味っていうのを考えますよね。 32歳くらいからかな、大人になってからロックをやるっていう事に矛盾を感じ始めた時期があって。 今の歳になって普段そんなにずっと何かに不満を持ってるかっていったらそうでもないし(笑)、歳を追う毎に音楽シーン以外の一般の人と接する機会も増えてきますけど、世の中全然沢山いい人いるし、別に孤独でずっと生きてる訳でもないし(笑)。 そういう状況でロックに言葉を向ける意味っていうのをすっごい考えてた時期があったんですよね。 まぁ、でもある日「別に普通のことを歌ってもちゃんと作品になるし、俺の実体験以外のことを歌えば、作った物語だったとしてもそこに思いを乗っけていけば、ちゃんとリアルなものは作れるな」って自分なりに腑に落ちた作品の作り方が見えたんですよね。 自分の実体験のことだけを歌っていくにはもう結構色々経験を積んでしまいましたからね(笑)。

ー そんなにずっと怒ってるのがリアルな人はよもやいないですからね(笑)。

■hozzy : そうなんですよね、もう若さがないと許されないっすね(笑)。 俺も実際怒りの断片は若い頃に散々吐きまくってきたんで、今やるべきことは今の感覚を形にすることだな、と。 もちろん音としてはガンガン激しいのとか今も聴いたりしてますけどね。 

ー「アンドロメダ」(M1) : とかは正にそういう、作った物語の中で自分のセンスを歌う、っていう構図の曲ですね。 この曲はもう本当に歌詞がドラマチックで年甲斐もなく胸焦がれました(笑)。

■hozzy: この曲はクサいぐらいド直球のを書こうと思って(笑)。 この歌詞は身近な友達で、かつ藍坊主の事を大好きでいてくれてる後輩がいて、因みに今回のジャケのデザインをやってくれたやつなんですけど、そいつに「ねぇ、藍坊主ってさ、どうやったら売れると思う?」って聞いて書いた歌詞です(笑)。 

ー (笑)。

■hozzy : せっかくここまで続けてるから、まだ聴いたことがない人が聴いてくれて、いいと思ってもらえるようなものまで作っていかなきゃな、と思って居酒屋でそいつに根掘り葉掘り聞いたんですよ、藍坊主のいい所を(笑)。 この曲、今回の収録曲の中で一番最後にできた曲なんです。 この曲なくても結構いい曲揃ったなと思ってたんですけど、最後にさらに一段階納得できる曲を書かないとな、って思ってたところだったんで、その後輩にアドバイスもらって、作りました。

ー 難しい言葉で書かれてない、あくまで隣で話しかけられてるような言葉で、早口でもなく初めて聴いてもちゃんと言葉の意味から物語が頭の中に浮かぶような工夫がされてる曲だな、と。

■hozzy : 歌詞と詩の違い。 メロディーがなければ詩ですよね、詩を書くってなれば絶対俺こういう書き方をしないんですよね。 メロディーに乗っかる事を前提としてなるべく聞きやすくする、その為の調整として言葉を変えるのか、メロディーを変えるのか、自分の声に合ってるのか、そんな事を1ヶ月の半分くらい費やしてずっと家で考えて作ってました。 

ー 口語っぽいですよね、これを若者が若者口調でやってるんじゃなくて、大人がやってるっていうのが素敵ですよね。 大人が作る絵本に子供心をくすぐられる、ああいう感覚の豊かさがあるのとおんなじような感じ。

■hozzy : それを大人が作ってるっていうね(笑)。 でも話し口調ってそのまま文字に起こすとどうしても薄っぺらくなっちゃいがちだから難しかったですね。 正直いろんなアーティストの歌詞を読みまくったんですよ。 あぁ、これいいな、とか、これいまいちだな、とか。 その差って何なのかな、っていうのを曲作り始める前に改めて整理したら、やっぱり感情の起伏がある話し口調の方が気持ちが揺れやすい、って思ったんですよね。 で、俺らってこの曲みたいな口語っぽい歌詞って意外にバンドでは今までやってきてなくて、もうちょっと構えた難しい言葉で攻めた歌詞が多かったな、と思って。 この曲は結構チャレンジだったんですけど、やってみたんですよ。 で、書き始めて一回「できた!」と思って身内に聴かせたんです。 

ー 反応どうだったんですか?

■hozzy : すっげえダメ出しされて(笑)。

ー そっち!?(笑)

■hozzy : 藍坊主大好きで変わらず応援してくれてる人なんで、喜んでくれるかなと思って「すっげぇの出来たわ!」って聞かせたから、「なにこれ手抜いてんの?」って(笑)。 まじで…!?何で!?って聞いたら、そいつ曰く俺の作る歌詞のいいところっていうのが、何かの景色が見えたりとか、匂いのするところらしいんですけど、それが全く無いって言われまして(笑)。

ー 今の完成品はめちゃくちゃいい匂いしてきてますけどね。

■hozzy : もう結構やり直しましたもん、そこから(笑)。 ベーシックできたところから、どうやって匂いがするものにしていくかっていうのを超考えて。 細かい部分を調整していきましたね。 俺が信頼しているバンドやってない一般の感受性をもってるやつに聴いてもらって、その角度からの見え方を参考にして。 やっぱり反応が意外にないと凹みますけどね、そこまでやってでもいいもの作りたかったんで。 結果的には口語っぽくしてるけど俺たちが今までやってきた事もちゃんと反映されてるものに仕上がったかな、と思いますね。

ー これが一曲目っていうのがめちゃくちゃ強力ですよね。 もちろん作り手は色々考えて作ってるとは思うんですけど、出来上がった風合いは小細工なしで感動する、っていうか。 枝の束じゃなくて大樹の幹みたいな。

■hozzy : 今回の曲の中で一番聴いてほしい曲です。

ー 今、時代的に複雑な音楽性のアーティストが昔より増えてるじゃないですか、音楽の進化的にはやっぱりどうしても “突き詰める” っていう作業って “より細やかに調整する” っていう作業になりがちだから。 そういう今において、藍坊主の今作みたいなストレートなワンパンチで食らわす音楽って逆に新しく映るかもしれないし、時代の流れに便乗しないで今まで積み上げてきた自分のブランドを貫くのって超正義だと思いました。

■hozzy : 昨日、ようやくマスタリングが終わって仕上がったアルバム聞いてたんですけど、「やっぱり俺ら全然今どきっぽくないよな(笑)。」ってちょうど話してたところです(笑)。 若干不安になりましたもん(笑)。 でも今好きでいてくれてる人たちはこの感じが藍坊主だ、って思って慕ってくれてる訳だし、これでいいんだろうなって思いますけどね。

ー 因みに他の曲について。 例えば「レタス」(M3)とか、サウンドも歌詞も爽やかな曲ですけど、10年前くらいですかね、自分が初めて藍坊主の曲を聴いた時代の音楽性って、なんていうかもっとシリアスな印象のものだったんですよね。 哲学的っていうか、楽曲も憂いを帯びてる感じの曲のイメージが強かったり。 最新作からはこれまでよりももっと、音楽を本人たちが楽しんでる匂いがする、というか。 歌詞に関して、自分のことだけじゃなく、作った物語を歌う、っていう遊びが出てきた事も制作を楽しんで進めていってる感じがするし。 この音楽性の変化が生まれる時間の中で、心境的にはどういう変化があったんですか?

■hozzy: あぁ、自分の作品の感じを俯瞰で見れるようになった、っていうのが大きいのかもしれないですね。 ちょうど事務所辞めて独立したくらいから、俺個人でも音楽活動始めたんですよ。 そこではバンドでこれまで作ってきた音楽の枠組みじゃなく、その時の自分の好き勝手にやってみようと思って始めたんですけど、いざ始めてみたら、「音楽好きにやるってどうやってやればいいんだっけ…?」みたいな感覚に陥って(笑)。 自分が作る音楽を見つめ直すいいきっかけになったんですよね。 そこからバンドでの音楽も含めて自分の音楽を俯瞰で見れるようになったのは気持ち的にかなり大きな変化でした。 だんだん藍坊主の音楽の輪郭とか、それこそ燃えない化石ですよね、軸にあって焼けた後に残る、なくならないもの、っていうのが何なのか分かってきた気がして。

ー 今作を聴くとその、燃えない化石であるこのバンドの軸のひとつは、歌詞の空気感だな、と思うんですよね。 なんというか、例えば「魚の骨」(M6)の「ドラッグストアで酒を買い 夜を徘徊する」とか、「西日のスーパーの脇で」みたいな現実的なワードはたまに出ても、全体を包む空気感はどこか幻影的っていうか、頭の中で広がる現実よりもっと広いスケールの世界を見てるような感じがある、というか。 hozzyさんの感受性をそのまま浴びてる感じ。 これは感覚的にできたものなのか、意図的に創り上げたものなのか。

■hozzy : さっきの歌詞と詩の違いとか、日本語が英語とかと一番構造的に違う部分が何か、っていう事とか、そういうところはバンドのボーカルとしては相当研究した方だと思います、意図的に。 英語って “I” とか ”We” とかが主語じゃないですか、主となる言語。 でも日本語の本当の主体となる言語って、実は ”私” とか “僕” じゃないんですよ。 “私” の後の例えば間だったり、助詞、私 “が” とか、私 “の” みたいなところに一番主体の本当に言いたい事が載ってくるんですって。 本当の気持ちって日本語ではそういう細かい間、助詞の部分に載っかって、英語にはないその機能によって日本語ならではのニュアンスが生まれるらしいんですよ。 英語には ”が” とか “の” みたいな助詞がなくて、それは前後の文脈から読み取るらしいんですけど、日本語ではそういう細かいパーツが何種類か存在してて、そのニュアンスを意図的に操ることができるんですよ。 主人公が今どういう意図を持ってるのか、とか、外国人が喋る日本語のうまい下手って、絶対この助詞とかの使い方で左右されていってるんですよ。 今、タイムリーに村上龍っていう小説家の『歌うクジラ』っていう作品を読んでるんですけど、わざと助詞をめちゃくちゃにして喋る事にアイディンティティーを感じてるある一部の種族の末裔の話で、未来の日本が舞台の物語なんですけど、要はちょっと反日みたいな思想ですよね、既存の日本語に対する。 その本読んでると、そのバラバラになった助詞の文章を見てもなんとか意味は伝わるんですけど、逆説的に本当に日本語では喋ってる本人の意図っていうのは、助詞に宿ってるんだなって感じるんですよね。 だから俺は歌詞書く時に助詞に関してはめちゃくちゃ考えて書いてます。 

ー ちょっと普通のバンドとは違う歌詞の書き方かもしれないですね。 普通まずは単語にこだわるのかな、と。

■hozzy : あぁ、確かに単語にすごいこだわってた時代もありましたけどね、全然単純な単語を並べても、それこそ助詞の使い方でいかようにも風合いを変えられるというか、匂いのするものに変化させられる、っていうのをここ2年くらいで分かった感じがありますね。 例えば「アンドロメダ」に関して言えば、その “匂い” がするorしない、ってほんと単純なことだったんですよ。 助詞のコントロールでそういう “なにかがある” って感じる要素になる。 すごく些細な事なんですよね。 

ー この7曲、全部最近書いた曲ですか?

■hozzy : 「マザーツリー」(M4)に関しては、2016くらいにあったベースの藤森が書いた曲で、その当時は出すタイミングがなくてずっと取っておいた曲なんですけど、今回「アンドロメダ」との混ざりが良かったりしたのもあるんで、入れた曲ですね。 それ以外は去年から作り始めて今年出来上がった曲です。 

ー じゃあ去年〜今年はhozzyさんの仕事量が半端なかったんですね(笑)。

■hozzy: 今まで通りのパワーバランスでやってたらフルアルバム作れましたね(笑)。 でもアルバムってフルだから10曲以上あるからいい、って訳でもないんですよね。

ー ほんとそう(笑)。

■hozzy: 30分前後くらいの尺ってすごい良いですよ、全編集中して聴けるし。 俺はミニアルバムくらいの尺大好きなんですよね。 もちろんフルも作り甲斐あって好きですけど。

ー 通学とか通勤時間で全編のストーリーがちゃんと完結して、あと重要なのがちゃんと最後の曲まで聴ける、っていう(笑)。

■hozzy : 後ろの曲が再生回数低い、これあるあるですからね。

ー 因みにこれまでもピアノの音が入ってる楽曲はありましたけど、今作でもこのピアノの役割もいい仕事してるな、と思う要素のひとつだったんですが、結成当初は恐らく初期衝動の塊みたいなバンドキッズだった藍坊主、こういう自分たちの演奏以外の音を受け入れたのってすごく大きな出来事だったと思うんです。 今作までくるとこういう要素を入れてくれる人との関係性ってどんなものになってるのかな、って。

■hozzy : そうですね、昔から結構ピアノの音は曲に入ってますね。 俺らが20歳くらいのクソガキだった頃に一緒にやっていろんなことを教えてくれた人が、今回また久しぶりに手伝ってくれて、ピアノを入れてくれました。 これも俺らが独立したくらいのタイミングなんですけど、めちゃくちゃ久しぶりにライブを見に来てくれて、色々話したら「また何か一緒にやりたいね」って言ってくれて、その時期俺らもリスタートで煮詰まってるところもあったし、若い頃にその人と一緒に作った楽曲って、結構今でもファンが好きでいてくれる曲があったりもしたから、もう一回一緒にやってみたい、と思って今回お願いしました。 その人らしさも今回めっちゃ入れてくれてるし、良い結束でできましたね。 

ー やってきた活動で繋がった人たちともまた改めて繋がったり、音楽的に見えたところがあったり、色々フレッシュな刺激が詰まった今作ですが、リリース記念ツアーも既に発表されてますね。

■hozzy : そうですね。 千葉LOOKから始まるっていうのもまたたまらないですよ(笑)、こうでなくっちゃツアーは始まらないっていうか、バンドの定番の道を辿ります(笑)。 また今回の作品がきっかけで昔ライブよく行ってたけど最近行かなくなった、って人たちが改めてライブに足運んでくれるようになってくれたらマジうれしいですね。 それをやりたいなぁ。 やってきたい。 アコースティックでも最近ライブやってるんですけど、お客さんも趣味趣向、こういう空間で音楽聴きたい、っていう望みも時を重ねて変化していくんで、そこで楽しんでもらえる内容のライブをやる、って事でまた足運んでくれるきっかけも作りたいし。 

ー 今って音楽続けてる一番の原動力って何ですか?

■hozzy: やっぱり待ってくれてる人たちが、好きだって思ってくれてる人たちが喜んで聴いてくれる音楽を作って、ちゃんと届ける事かな。 応援してくれてる人がいるっていうことがマジで尊い。 嬉しいし、これから先もがんばっていきたいと心から思える原動力ですね。