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テスラは泣かない。 1/f
- SPECIAL -

テスラは泣かない。 1/f

《1/fの揺らぎ、樹上のホワイトノイズ。羊水のなかで聞いていた、それ。》 吉牟田 直和[Bass]  

 人は変わる。例えば、かつてガリガリの躁鬱気質の文学青年。彼は岡崎京子の漫画の主人公のようなスタイルで生き、文庫本と一個のリンゴがあれば今日は満たされる。日銭があればカルチャーに費やし、食費は皆無。そんな20歳の青年は、13年後の日々も生きている。変化と適応を繰り返し、今ではお節料理のことを考えている。それに合う酒のことを考えている。(20歳の頃の私は、一滴もアルコールを受け付けなかったのである)もちろん大したものは作れないだろう。しかし、どうせならば、ここぞと本枯れの鰹節でお出汁をとりたいものである。雑煮はもちろん、年末には鰤しゃぶも出来る。こたつにこもって、熱々の熱燗をクイッ。蜜柑の皮を爪を黄色くしながら剥いて、テレビのチャンネルを変える。気が向いたら数の子と、紅白の蒲鉾を添えよう。鮑のニンニク醤油漬けなんか作っちゃったら、ほら…。

 そんな日々が来ることを、当時は想像だにしていなかった。まるで霞ばかりを食らっていた二十代だったのである。お金だって必要がなかった。退屈ならば公園のベンチに座って、ワゴンセールの中から引っ張り出した百円の文庫本を読めばいい。もっと退屈ならば文章を書けばよい。必要なのは煙草代となけなしのお金、そして時間。時間。時間。いつだってそんな日々の夢想は楽しい。変わらざるを得なかったのか、変わることが出来たのか。どちらの人生であっても悪くないものだとは思う。大した後悔なんてものはないのだから。

 さて、小さな不安と小さな疲労を、美酒佳肴で流し込む。次の休みに鰹節を買うために電車のなかでコラムを書く。明日飲むために今日は働く。画集の代わりに鰹節を買う。どうせならば、贅を凝らしたものを作りたいとは思っている。結局、本質のところは変わっていないのかも知れない。私は「贅沢」なものが好きなのだ。20代の頃には長い退屈が「贅沢」だった。30代になった私は腹も減るし、長い退屈なんてもものはキマリが悪いので、そのかわりに美味いものを食べる。どちらも生きるためには必要のないことである。必要のないものだからこそ拘るのだ。

 結局、その性格はずっと変わらない。人は変わると書き出したつもりが、こんなところに辿りついてしまった。ただ歳をとったのである。美味いものを知ったのである。空腹が身に染みるようになったのである。今年もよろしく。

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《1/fって何すか。》 村上 学[Vocal/Guitar] 

 劇作家の寺山修二の代表作に「書を捨てよ、町へ出よう」という戯曲がある。

ちなみに私はこれを読んだことも観たこともない。昨年の自粛期間中に家で読書にふけっていたとき、ネットで注文して読んでみようかとも思ったが、これで感化されてタイトルの如く読書をやめ、町に繰り出すようになっては本末転倒。世間は「書で退屈をしのげ。町には出るな」の空気だったので。そうして注文のクリックを思い止まっていまに至る。

 本の内容こそ知らないのに、これを新年一発目に語るのもどうかと思うが、大目に見てほしい。とにかく、私はこの「書を捨てよ、町へ出よう」というタイトルがとても好きなのだ。出不精のくせに。いや、出不精だからこそなのかもしれない。

昨年夏頃、自粛期間明けに久しぶりに会った友人には二種類いた。家に閉じこもるのが息苦しくて苦痛だったタイプと、引きこもることに後ろめたさを感じなくて良い日々を堪能したタイプ。(ちなみに私はどちらの気持ちも分かる。)

ただ、振り返ってみると、どちらのタイプにとっても新しい出会いというのは少なかったように思う。「はじめまして」を言う機会が少なかったような。しかも別れの数は減らないくせに。さよならも言えないまま。それが、書を捨てて町へ出るべき理由だと思う。

 書の中にも、音楽や映画の中にも出会いはある。そしてありがたいことに別れはない。

ただ出会いと別れのどちらもがある場所に、それは渋谷だ新宿だとそういう意味の町ではなく、人間同士が物理的にぶつかる町という舞台に偶然の産物が転がっていて、それに翻弄されるところに、やはり人生は面白みがあると思う。

 書を捨てるつもりはない。ただ、話がしたい。

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[テスラは泣かない。]
L→R
吉牟田直和(Bass)/飯野桃子(Piano&Chorus)/村上学(Vocal&Guitar)/實吉祐一(Drums)
印象的なピアノのリフレインを武器に、圧倒的なライブパフォーマンスで各方面から脚光を浴びる、鹿児島発4人組ピアノロックバンド。インテリジェンス溢れる音楽性と、エーモショナルなライブパフォーマンスを融合させた、他の追随を許さない孤高のロックバンドである。
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