ご無沙汰しております。サカキナオでございます。
「オモイコミ(思い込み)」というのは凄まじい魔力を持っているのです。
そんなドブ川のような胡散臭さ醸す語り出しを平らに謝りながら、性懲りも無く今回も駄文を披露しに参りました。どうぞよろしく。
ある日のことでございます。手元のカバンが壁に当たり、思わず「いてっ」と口からこぼれてしまったのです。そんなことよくある話ではあるのですが、よくよく考えるとよく分からない話なのであります。
というのも当たり前っちゃあ当たり前なのですが、所持物の先の先までワタクシの神経は通っておりません。というか身体の何の部品でもないただの「モノ」でございますので「いてっ」なんて台詞は嘘っぱちほかならないのです。でもほざいてしまうのですよ。それも実際の身体に衝撃が走ったときと同様の速さのレスポンスで。
これはある一定数の方々の賛同を得られる話ではないかと思うのですが、現に今これを読んでくださっている皆様のうちおおよそ4割程度の方々(適当)が首を縦に振ってくれていることでしょう。
たとえばそれは、足の裏ではなく靴の裏で砂利道を感じたり、手ではなくその先のバットで球を捉える感覚のことなのです。身体という範囲が通っている感覚の部分までのことを指すのだとしたら、、、骨折をして仰々しくつけられたギブスが数日も経てば自分の身体の一部のように感じるアレや、先のカバンと「いてっ」の話もホンモノなのです。
(あれ、これなんの話だっけ。)
「何をくだらないことをあむあむと」と思われるかもしれませんが、まぁつまるところぜーーーんぶ「オモイコミ」故の話ではないでしょうかということが言いたいわけです。大なり小なり皆様にも引っかかりがございましょう。
さて前置きはこのくらいにいたしまして、ここまでは前フリです。私が今回声を大にしてお伝えしたいのは、先に述べた事例からワタシも、アチキも、チンも、と集まった仲間たちとの共感ではなく、「オモイコミ」に限って言えば「おいどんはそんなもんじゃねえから」という張り合いなのであります。「プラシーボの鬼」の異名をとる私くらいのレベルになりますと、ドラマで役者が心臓を押さえて倒れるシーンとリンクして、こっちも息苦しく心臓を思わず押さえてしまうのです。
負けないよ。
それでは小噺を。
先日、恥ずかしながら体調を崩しまして、頭を不自然に脈打つ感じ、肌と服の繊維が擦れるたびに感じる得も言われぬ不快感といった、普段の己とはかけ離れた使いモンにならぬ不愉快な身体がそこにはありました。長年この殻で生活していますと、おそらく風邪てきな何かであろうとすぐに分かりましたのでとりあえず薬を体内へ、そして就寝。
このとき重要なのは、絶対に体温は測らないということです。それは私の特性を理解した上でのことであり、もしうっかり体温を測ってうっかり高熱なんて出てようものなら、その数値を眼球に映した途端に弱気の虫が身体中をうじゃうじゃ包み込み、容態が悪化してしまうのです。
先に述べた「オモイコミ」の魔力がこんなにも苦しめるのです。数字で体調の悪さを可視化する体温計なんぞという恐ろしいものは捨てるが吉。とりあえず自宅療養。
まぁなんだかんだ言っても大体3日経てば勝手に治るので様子見していましたところ、5日経っても6日経っても絶妙な体調なのです。
いやはやこのときの私は酷く怯えておりました。いつもの風邪の経過と違うこともそうなのですが、もしかして風邪でなくとんでもない大病を患ってしまったのではとビビってしまいまして、、、「病は気から」を己を奮い立たせる用途ではなく、不安を誘発し病状を悪化させる方面で使うのが恥ずかしながら私なのであります。当初の症状としては喉の違和感くらいだったのですが、大病を疑っているうちに肩、膝、首など違和感のある場所がどんどん増えていき、居ても立っても居られなくなった私は遂に病院に赴く一大決心をしたのでした。四方から聞こえてきそうな「最初から行っておけば」や「何を病院に行くくらいで大袈裟な」等の言葉はここでは一切受け付けておりません。何を隠そう私は日本で5本の指に入る、超がつくほどの病院嫌いでありまして、それはそれは並大抵の決心ではないのです。なぜそんな嫌いになったのかに関しては割愛させていただきます。それはまたいつかどこかで。
さてさて病院にて診察を受けるにあたって、まず問診票を記入することに。職業柄、ノド痛をまずどうにかしてもらわねばなるまいと(この症状だけはプラシーボでもなんでもないハズ)問診票には「喉の違和感」と書き込み、なるべくゆっくり丁寧な字で書くことでお医者様にこの切実な心が届くよう念を込めるのでした。
しばらく待合椅子に腰を掛けておりますとスピーカーから私の名前が聞こえましたので、勇気を出して指示通り部屋に入りました。
すると問診票の私の希望や思いが叶ったのか、喉を重点的に診てくれるとのこと。口を開けて見せるのかと思いきや、鼻の穴からカメラを入れて喉を撮影するらしい、、、もう聞いただけですっごく痛そう。絶対嫌だ。こういうのが病院嫌いにつながるのです。それはそれは執拗にもう何度も痛くないかの確認をいたしましたが、お医者様はすごく冷静に「大丈夫です」と一言。そして管のような何か(カメラ)を鼻から入れていくのでした。とりあえず私は現実から目を背ける如く目を瞑りました。
諸々が終わりあっという間に診断結果が出ました。意外や意外、お医者様は私の喉の写真を指差しながら「ほら何もないでしょ、異常なし」なんて言うのです。いや、納得がいかない。こっちはもう大病のつもりで来院していますから。特にお薬もなく、様子見をして全く快方に向かわなかった場合再診ということでまぁつまるところ大したことはないということでありまして、その日はとぼとぼとしかしどこかホッとしながら直帰いたしました。
その後の話、異常なしと診断されてから3日ほど経つと何もなかったかのように全ての「大病たち」が姿をがらんと消したのでした。彼奴等は一体なんだったのだろうか。周囲には例の魔力を指摘する声が多数という感じではあったが、その渦中では本当に大病だと思ったのだもの。いや、ホントウに。(いやしかしお医者様の言う通り)
この長々とした馬鹿話(こちとら本気)を延々と聞いてくれた友人も、「何はともあれよかったね」とこのパートにピリオドを打ちたいのか、いい感じに締めようとしているのであります。「あっ」と何かを思い出したように「最近はインフルが流行ってるみたいだから気をつけてね」と去り際に言葉を捨てていったのです。
いけない。プラシーボの鬼が顔を覗かせてきた。
※浅草での1枚。なお、話との脈略は皆無。