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Anly interview
- SPECIAL -

Anly interview

柔らかな感性はそのままに、ひとへの想いや、音楽的な表現力は徐々に強く、変幻自在に姿形を変えて色濃く作品に落とし込まれていく。 風光明媚な小島で伸びやかに育った稀代のシンガーソングライターAnlyは今、地域としては都会から自然豊かな場所まで、音楽ではフェスで盛り上がるアッパーサウンドから自身のルーツであるブルースまで、出会う人々ではバンドメンバーから故郷の家族まで、目の前に広がるフィールドを目一杯駆け巡って実に様々な経験を積んで人間性と音楽性をアップデートし続けている最中だ。 初のフルアルバムリリースに伴ったファーストワンマンツアーを大成功させる中で、早くも発表された今作のシングル「北斗七星」には、その変化を感じさせるエッセンスがあらゆるかたちでちりばめられている。 鋭くなった音楽的な自我と、より豊かになった想いの描き方、どちらも今このかたちで存在するのは過去のAnlyがあってこその積み重ねの結果だ。 20歳になった彼女が過去を活かしながら今を前に進める姿は、昔と変わらずまっすぐに先に延びていて、純粋な歩みには相変わらず心を動かさせられる。

Interview & Text : 鞘師 至

うんと時間をかけて温めた、自分にとって特別で大切な曲。

ー ニューシングルリリースの時期ですが、ライブもガンガンやってる時期なんですね。 今月、収録の演奏も含めると20本くらい?

■Anly: そうなんですよ、忙しい夏が過ごせるのがありがたいです。 この前Mステに出演したのがもう遥か昔に感じます。

ー Mステ、スキマスイッチさんとのコラボ出演ですよね、もう4ヶ月前ですか。

■A: あの日は人生の中で一番緊張してて、出演前は楽屋でずっと吐き気がすごくて(笑)。 歌ってると平気になってくるんですよね、だから出番までずっと歌ってました。 スタッフも心配してくれて、ラジオ体操やったりして緊張をほぐしてくれようとしたんですけど、全然だめでした(笑)。 今では笑い話ですね。 すごい経験をさせてもらいました。

ー そういう経験もあってか、6月にあったファーストワンマンツアーは、以前よりも堂々としてましたね。

■A: 今回のツアーは確かに前よりも落ち着いて楽しめたかもしれないですね。 

ー 東京編は追加公演含めて見に行かせてもらって、どちらも相当盛り上がってましたけど、他の会場はどうでした?

■A: 名古屋が初日だったんですけど、すごい盛り上がってて、大阪もすごかったですね。 でもなんだかんだ沖縄が一番の盛り上がりでした。 県民性なのか、沖縄の人って恥ずかしがり屋な人が多いんでライブでワーッ!とあまり大声出して盛り上がるイメージがなかったんですよ。 今回実は沖縄の人たちにバンドスタイルのライブを見てもらうのが初めてだったのもあって、前みたいにアコギでやってた静かな感じのライブの方がいい、って思われたらどうしよう…とか、やる前までは反応が不安だったんですよね。 でもバンドでいくからには、バンドもいいね、って思ってもらえるライブにしたいと思って準備していったんで、ライブが実際始まってみて一番最初からすごい盛り上がりだったのがとっても嬉しかったです。 

ー 凱旋ライブで地元盛り上がるって、かっこいいですね。

■A: 吐きそうなくらいの緊張とか経験しながらがんばってきてよかったです(笑)。

ー 以前に話していた夢、伊江島でのフェス開催に一歩近づきましたね。

■A: そうですね、沖縄でもこんなに盛り上がってくれる!っていうのが分かって自信につながったんで、続けていっていつか伊江島フェスを実現させたいですね。

ー 高校時代の友達とかも沢山来てました?

■A: 友達は連絡くれるのがギリギリの子が結構いて、ソールドアウトしちゃった後に連絡くれて、もうチケットがない、っていう状態でした。 泣く泣く「ごめんね〜」って断ったりして。 でも伊江島の村長とか、知り合いは沢山来てくれました。 今回来れなかった友達にもバンドでのライブも見てもらいたいんで、また沖縄でバンド編成ライブやりたいですね、というか必ずやります!

ー 今回は沖縄にいた当時の曲も演奏したんですか?

■A: いくつか沖縄時代の曲もやりました。 知ってる曲が始まると反応してくれる感じもあって、嬉しかったですね。

 

ー 新曲「北斗七星」はそんな沖縄にいた頃に作った曲なんですよね?

■A: そうなんです。 まだ那覇に出てくる前、小学校5年生位の頃に初めてオリジナルの曲を作りたいと思って、私のお兄ちゃんに向けた内容で書きたいと思ってた曲です。 実は私にはお兄ちゃんがいて、私が生まれる前に亡くなってしまっていた、っていうのを両親から聞かされたのが小学5年の時でした。 毎年実家では誰の為か分からない誕生日を両親が作ったケーキでお祝いしていて、私も小さい頃から誰のお祝いか分からずに一緒に祝ってたんです。 それで小学校5年生の時に初めて両親に「これは誰の誕生日なの?」って訊いたら、「これは天国にいるAnlyのお兄ちゃんのお祝いだよ」って言われて。 その時、もちろん悲しい気持ちもあったんですけど、小さい頃はずっと一人っ子だと思って過ごしていて、学校の帰り道なんかで兄弟仲良く歩いてる友達とかを見て、「あぁ、兄弟がいるっていいな」って羨ましく思ったり、家で一人でいる時に「誰か遊び相手がいてくれたらいいのにな」って思ったり、一人っ子の寂しさをなんとなく感じてたんで、実は自分にお兄ちゃんがいたって事を知って、嬉しい気持ちの方が強かったんですよね。 自分でも覚えてないんですけど、後々親に聞いたら「私、一人っ子じゃなかったんだね!嬉しい!」って言ってたみたいです(笑)。 親からすれば、私がそれを聞いて悲しむだろうなと思って、この事を話すタイミングも迷ってたみたいなんですけど、案外私がそういう明るい反応だったので、親もそれを見てほっとしたみたいです。 「Anlyが喜んでくれたから私たちも明るい気持ちになったよ」って言ってくれてました。 

“ぬくもり”ってことばが似合う。

■A: その頃にはギターも少し弾けるようになっていたんで、この嬉しい気持ちを曲にしたいな、と思ったのと、ちょうど将来歌を歌う人になりたいな、って思い始めてた時期だったんで、自分の曲を作ろうと思ってたのが、この曲ができるきっかけになりました。 でもその頃は初めての作曲だったのもあったし、テーマが日常的な書きやすいものというよりは、両親が感じていた悲しみとか、自分が感じた喜びとか、曲にしようとしてみたら自分が思ってたよりも色んな思いが混ざっている深みがあるものだったので、どうまとめあげたらいいか、自分が納得するところまで作れずにいたんです。 それで一旦ねかせておいて、その間に別の曲が出来ていって、時が流れて高校生になった時にようやく出来上がった曲です。 長い間、心の片隅ではこの曲を書き上げたいな、と思いながらも出来ずに、ずっと温めていた曲です。 

ー 最近の曲では、昔の曲を今の声やアレンジでレコーディングした曲もいくつかありましたけど、今回の「北斗七星」は小学校5年生の時期、高校時代、現在の3つの時期にまたがって作られた曲っていう事ですね。

■A: 本当にすごく長い時間、大切に温めた曲なんで、温度感も他の曲とは違うものになってると思います。 

ー この話を聞いてから歌詞を読み直すと、全てのワードがひとつの物語で繋がりますね。 

■A: そうですね、だからこそ6月のツアーでもこの曲を演奏する時に、各会場でこの曲が出来た経緯を話したいな、と思ったんですけど、この曲に詰まってるのは私の個人的な想いなので、「そんな事みんなに話して平気かな…」って話すべきか止めとくべきか、すごく悩んだんです。 経緯を聞いて聴く人が悲しい気持ちになったらどうしよう、とか。 いろいろ考えてしまって。 

ー 実際には「北斗七星」を歌う前にMCで経緯も話してましたね。

■A: 実際に話してみたら、ライブを終わった後に「経緯を聞いた事でこの曲がさらにいい曲に聞こえたよ」とか、「自分も同じ経験をしたから、話を聞けてよかった」とか、いい反応をいくつももらえたので、安心しました。 

ー 音楽よりも先に、まずAnlyさんの経験したストーリーが心に響く曲なのかもしれないですね、音楽はそのBGMとしてこころと言葉を引き立てる名脇役みたいな。

■A: あぁ、そうなのかもしれないですね。 昔の音楽が、未だに同じ時代を生きてきた人に強く残ってるのって、やっぱりその人の叫びだったり、どうすればいいかわからない感情を表現するために必要不可欠なものだったりするからなのかもな、って思うんですよ。 そういう想いの強さってやっぱり心に刺さりますよね。 サウンドが新しかったり、韻を踏んだり、っていう音楽的な部分に目を向けた曲も楽しいし、私もそういう事にどんどんチャレンジしていきたいっていう気持ちもあるんですけど、それとはまた別に、想いを大切にするような「北斗七星」を書いた時の気持ちはずっと忘れたくないな、とも思っていて、作曲している時、一回出した言葉を、音楽的な面から考えて踏みとどまって、もう一回飲み込むような事をした時って、毎回これを思い出すんですよね。 「何でこころの声で出てきたことばをこうやって綺麗に整えてしまおうとするんだろう」って。 素の状態ででてきたことばってやっぱり、人間味が出てたり、意味がわからなくても、絶対そのうち意味がわかる日が来る、って思ってるんで、今回の「北斗七星」っていう曲名も、パッと浮かんだことばでそのまま名付けものなんです。 そしたら、後々知ったんですよ、北斗七星って、一年中同じ場所にいてずっと輝いてる星だ、って。 お兄ちゃんの事だ!この曲の歌詞の内容にぴったり!と思って改めて嬉しくなっちゃいました。 あの時パッと浮かんだことばは偶然だったかもしれないけど、必然だったのかもな、って。 この曲を沖縄で当時アコギで弾いて歌っていた時はそれこそ自分のために歌っていただけで、今みたいに大勢の人の前で歌えるようなシンガーになれるなんて思ってもいなかったので、アレンジもアコギ一本。 それが今回のレコーディングではいろんな楽器の音が重なっていって、アレンジが豊かになっていて。 当時の私に聴かせたらきっとすごく驚くと思います。 今ではレコーディングでたくさんの人の手が加わって、その人たちにもあたためてもらって、ツアーでは一緒にバンド演奏してくれる私の新しく出来たお兄ちゃんみたいな存在のバンドメンバーの皆さんにもあたためてもらって、かけがえのない一曲になったので、大切に大切に、していきたいなと思います。

大切な誰かを感じられるような曲になっていってほしい。

■A: これまでは誰かが元気になれるような歌とか、誰かにエールを送るための歌とか、そういう目的で曲を書き続けていたけど、この「北斗七星」だけはちょっと特別で、誰かのためになるような歌になれなくても、ライブで披露できるような歌になれなくても、歌えばいつでも自分のそばに居てくれて、そのあたたかさを感じられる歌としてずっと在り続けて欲しい、と願って作った曲、私と、私たち家族のための曲だったから、その存在を超えて今回、沢山の人に聞いてもらえるようなものに仕上がったのが、とっても嬉しいんですよね。 凄く特別な感覚。 作ってる方としては「こんなにも私事な事、みんなへ歌ってもいいんですか…?」的な恐縮はあるんですけどね(笑)。 パーソナルな想いっていう意味ではこの「北斗七星」は新たなチャレンジの曲かもしれないですね。 それでも私にとっては全然悲しい曲ではないので、聴けばそばに大切な人がいてくれる気持ちになれたり、誰か大切な人を思い出すきっかけになってくれたりするような、最終的にはみんなの背中を押せる曲になってくれたらいいな、と思います。 

ー 作品の中でお兄さんがずっと生き続けてる感じ?

■A: 捉え方によっては、生きてる自分達がその人を思い出せば、その人の記憶の中では生き続けてくれるし、もしかしたら生まれ変わってどこかで今生きてるかもしれない。 顔のイメージもした事もなかったり、どんな性格の人だったかも分からないですけど、ずっと隣にいて私にエールを送ってくれてるような気がしてて。 この曲、最初は素朴な曲だったんですよ、ただ自分のそばにお兄ちゃんの存在を感じていられるように作った曲。 それが今回レコーディングし終えて出来上がった音源を聴いた時に、星空が見えるくらい壮大なアレンジになって今、耳から入ってきて改めて聴くと、これってすごく特別な事だなって感動するんですよね。 いろんな人の力が加わって、私のパーソナルな思いがこんなにも壮大なものになってる!って。 

ー この曲、ストリングスの音もジャケ写の星空の広大な感じにすごくハマってますよね。

■A: 今回ジャケットの星空の写真は、長野県の阿智村っていう所で撮ったんですけど、日本一星空が綺麗と言われてる所なんですよ。 本当に綺麗で、写真に写り切れてないくらい沢山の星が、もうどれが北斗七星か分からなくなるくらい強く光ってて、すごく素敵な夜空でした。 レコーディングでは、阿智村に行った後に歌録りをしたんですけど、その時の感覚でリラックスして歌っていると、阿智村の星空が途中から目の前に広がってきて、その星空のイメージに導かれる感じで歌を入れていけたんです。 地元の伊江島も星がよく見えるところで、私のイメージでは、この曲の1番では伊江島の夜空が広がっていて、2番で阿智村の夜空まで広がってく感じ。 本当に、こんなに記憶に残る星空を見られて感激でした。

ー ちなみに小学5年生の頃、高校生の頃、現在の3つの時期の感覚を大切に再現する為に、今回のレコーディングでこだわった事ってありますか?

■A: 声ですね。 曲自体は17歳くらいの頃に出来ていたんですけど、今回のツアーバンドでギターを弾いてくださった松ヶ下さん(松ヶ下宏之)に当時既に出会っていて、東京でレコーディングしない?と言ってくださったので、東京でスタジオに入ったんです。 その時に自分からレコーディングしてみたい!とお願いしたのが「北斗七星」で、アレンジは基本その当時のものからあまり変わっていなくて、一番大きく変わったのが歌声だったんです。 実はその当時の声の素材も取ってあってそれはそれで、その当時の想いがこもっていてすごくいいテイクだったんですよ。 それを経て今回20歳になった歌声もレコーディングしてみたら、最初は想いを込めすぎてうまく歌えなかったりしたんですけど、やっと録り 終えた20歳の歌声と、17際の歌声とを並べて聴いてみたら、どちらも全然違う良さがあって。 でももしかしたら17歳の歌声の方がいいんじゃないか…って悩んでしまって、自分だけじゃ決められないと思ったんでいつも自分の声を聴いてくれている周りの人に訊いたら、20歳の声は20歳なりの成長を経た今の気持ちに忠実なものだから、今の声の方がいいんじゃないか?と言ってくれたので、最終的に今の声でいくことにしたんです。 それくらい悩んで決断した声だから、この曲のキーになっている大事なポイントだと思います。

ー 聴き比べると3年前の声とはそんなに違うんですか?

■A: 全然違うんですよ! もうね、17歳の声はなにせ太い(笑)。

ー あぁ、合唱をやってたからですね。

■A: そう、太くて深みがあるんですけど、今の自分からするともう既に懐かしい感じの声なんですよ(笑)。

ー 声は生ものなんですね。 

■A: 3年でこんなに変化するんだな、ってくらい。 これからも積み重ねなきゃですね。

ー ちなみに曲の冒頭では、キラキラ星のメロディーがピアノで鳴ってますね。 学校の音楽の時間みたいな空気感。

■A: あそこはまさに学校で先生の伴奏に合わせてみんなで合唱してる、みたいなイメージなんですよ。 素朴なピアノがその雰囲気出してますね。 

ー 合唱をやってたからか、その空気感が曲調と合ってますよね。 そのうち沖縄の学校で音楽の時間にAnlyさんの曲が生徒に歌われてそう(笑)。

■A: そうなったら嬉しいな〜でも息継ぎ難しくて自分でも歌うの難しい曲が多いから…(笑)。

ー 素人はむやみに歌ったら危ないですね(笑)。 でも、Anlyさんの曲が小さい子供とかも口ずさんでるようなものになっていったら、すごく素敵ですね。

■A: 実際、3歳くらいの子が結構気に入って歌ってくれてたりするみたいで、「レモンティー」とか「Emergency」とかを歌ってる動画が送られてきたりするんですよ。 とってもかわいい。 私が小さい頃にエリック・クラプトンとかCCRとかを聴いてたのと同じように、なんとなく流れてきた音楽を純粋な気持ちで「あ、おもしろい!」って思ってくれてるんだとしたらすごく嬉しいな、って思います。 いつか大きくなったら、ライブにも来て一緒に楽しめたらいいな、っとも思ったり。 

ー 思いが詰まった曲だから、若い世代も含めて、どんどん広まっていってみんなの曲になっていって欲しいですね。

曲には常にカントリーを感じたい、と思いながら作ってます。

ー ちなみに「ie」(M2)は、誰について歌った曲?

■A: 「ie」は私の両親の新婚時代の話を参考にして書いた曲です。 タイトルの「ie」はおうちの家と、伊江島の伊江を重ねたもので、そういうあったかいものにしたいな、って思ってたんで曲調はカントリー調にしました。 昔から両親はすごく仲が良くて、ずっとあの小さい島で2人で生活してるんですけど、今でも2人でドライブしに行ったりしてるんですよ。 自分の親ですけど、いいなって思える仲なんですよね。 

ー この曲は最近できたもの?

■A: これも高校時代に作った曲で、出来上がった頃からライブではずっと、「北斗七星」の次に歌ってた曲です。 その頃から慣れ親しんだ曲順で今回も続けて収録されてるので、当時の感覚で捉えてた家族のあたたかさとか、伊江島の人たちのあたたかさとかを感じれるような曲になってると思います。 で、後から気づいたんですけど、この曲にも歌詞の中に星が出てきてるんですよね。 意識せずとも星になにかの想いを重ねてた時期だったのかもしれないですね。

ー カントリー調でシャッフル(※跳ねるような特徴のリズム)の曲は今回が初めて?

■A: リリースする曲はこれが初めてなんですけど、私昔は「カントリー歌手になるのが夢です!」って言ってる時もあったくらい、カントリーはずっと大好きなんです。 日本語でカントリーを表現しようとすると、どうしてもフォークのイメージになっちゃうんですよね。 でも今アメリカで流行ってるポップカントリーを日本語でどうにか表現できないかな〜と思ってたり、その延長線上でアイリッシュっぽいものを日本語で表現できないかな〜と思ってたり。 野望はいろいろあります。 音も雰囲気も、節回しも好きなんで、実は一番ときめいてる音楽は今でもカントリーです。 だから今回やっと、作品としてカントリーがやれて満足してます。 いずれは更に研究して、もっとカントリーだけど、日本語がちゃんとマッチしてる音楽っていうのをやりたいと思ってます。 そういう面では「ie」はまだまだ第一弾。

ー 音楽的にもチャレンジしてますね。 そして3曲目は先日話題となったコラボ曲「この闇を照らす光のむこうに」のAnlyさんバージョンですね。

■A: はい、このバージョンは弾き語り一発録りで仕上げました。 ライブと全く同じ感じで弾きながら7回くらい歌ったんですけど、採用したのは1回目のテイク(笑)、超シンプルです。

 

ー ツアーではこのバージョンで歌ってましたね。

■A: そう、あのアレンジです。 スキマスイッチさんと歌っている時は大橋さんの存在感ある歌声ありきでことばが引き立ってるパートがあるんですけど、私一人の時は更にそこを自分で表現する必要があるので、アレンジもオリジナルに忠実に!ではなくて、いかにことばを聞き取ってもらえるかを意識して、スローにしてみたり、アカペラにしてみたり、いろいろ私の中で工夫して「一人バージョンもいいね」って言ってもらえるようなものを目指しました。

ー 途中ブレークしてアカペラになるところはギターが入った瞬間でめちゃくちゃ鳥肌立ちました。

■A: 実はあそこのアカペラ部分、きっかけはライブでのトラブルから生まれたんです(笑)。

ー 偶然?!

■A: ある日ライブで歌ってたらこのブレークのタイミングの少し前からマイクスタンドが固定しきれてなくて、マイクがどんどん下がってきちゃったんですよ。 最初の方は少しずつかがみながら歌い続けてたんですけど、もうどんどん下がってくるから途中で諦めて、ギターから手を離してマイクスタンドを直しながら歌ったんですよ。 それがあのブレークのタイミングです(笑)。 スタンド直し始めたタイミングが奇跡的にあのタイミングで、直し終わってギター弾き始めたのもあの入るタイミング。 本当に偶然でアカペラのアレンジになって、それが逆にお客さんから高評価で、そのライブで一番盛り上がった瞬間だったんで、スタジオでもう一回そのアレンジで歌ってみたらやっぱりばっちりで(笑)。 結果的にあのアカペラパートになりました。

ー それが今音源になってるって感動ですね(笑)。

■A: そうなんですよ、ライブではただマイク上げたい一心で演奏止めただけだったのに(笑)。 ライブってやっぱり何か起きますよね。

ー なんだか今回の作品はいろんなものと共鳴して作られてますね。 自然とハモって夜空の曲になって、ハプニングとハモって曲になって。 

■A: 昔はただひたすら曲を作る感じだったのが、やっぱりいろんな経験をさせてもらって来て、アレンジ能力がついた事が昔の自分と一番違うところかもしれないですね。 星空のイメージだったり、トラブルだったり、自分発信じゃないものにもアレンジのきっかけを発見できるようになりました。 ハモったと言えば、今回の「この闇を照らす光のむこうに」のアコースティックバージョンのMVでは木々の木漏れ日が綺麗な場所で撮影したんですけど、歌い始めたらその場にたくさん居た小鳥がさえずり始めたり、カラスは逆に歌い始めたら鳴き止んだり、偶然なのか、鳥達に何か通じたのか分からないんですけど、一発撮りだったにも関わらず、すごくいい映像が撮れました。 

ー 秋のツアーでは今まで行ってない土地にも行くみたいですね。

■A: はい、いくつか初めての場所にも行くんで未知ですけど、すごく楽しみです。

 

ー 今後、他にも行ってライブしてみたい場所ってありますか?

■A: 俄然イギリスですね! 「太陽に笑え」の時期に行ってみて改めて思いました。 それ以外にも日本でも海外でもいろんな場所に行ってライブしてみたいですね。 やっぱり会って直接歌を聴いてもらわないと伝わらない事ってあると思うんですよね。 だからCDで聴いてもらうのもすごく嬉しいですけど、一番は直接行って自分の歌を聴いてもらって、その空気感とかを一緒に楽しめたらいいな、って。 ギター1本担いでどこへでも行きたいな、ことばが通じない場所でも行って歌ったら何か伝わるかもしれないし。 挑戦したい事が全然尽きないですね(笑)。