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Nulbarich interview
- SPECIAL -

Nulbarich interview

大衆性とは別の起源を持つレベルミュージックを背景に持ちながらも、僅か2年で武道館ワンマンSOLD OUTまで到達した稀代のグルーヴィスタNulbarich。 ブラックミュージックを今の時代を活きる日本人の解釈でアウトプットする独自路線を辿るアーティストの中でも、一際Chillで生音にフォーカスした心地よいサウンドは最新作「Blank Envelope」でもしっかり継承されているが、特筆すべきは、細胞が拒絶を起こさないギリギリのラインで穏やかに進化を続ける音楽性。 突然変異に頼らない着実な進化こそが、Nulbarich独自の音楽の種を絶やさず育んでいる所以なのだろう。 メディア露出があまりないため、どこか抽象的なイメージもあるが、対面してみて話を訊くと見えてくるのはやはり人間性からくる音楽だ、という事。 音楽に対する情熱の高さと、それに対比するような冷静でクレバーな判断力、その双方の独自バランスがNulbarichなんだと思った。 そんな人格者たる揺るぎなさを感じさせるバンドのマエストロJQだが、今作の前半と後半で2層になっている音楽性を聴き進めていって見えてくる彼の頭の中は、今も尚進化の最中のようだ。 ライブの経験がその後の作品の音楽性の舵を取っていく、という実体験に則した音楽。 これはリアル以外の何物でもない。 武道館でのライブを経て今一番フレッシュな状態のNulbarichの音楽観が確かに詰まった本作、音楽性はこれまでの延長線上でも、過去作と確かに違う感受性、発想、想いを感じるオーセンティックな名作だ。

Interview & Text : 鞘師 至

安心感とスリル

ー これまでの作品と聴き比べてみて、音楽感的には受け継いでる部分と新たなチャレンジの部分のバランスがとてもNulbarichらしいな、と思ったんですよね。 変に周囲の音楽に振り回されない穏やかな変化、というか。 ご自身ではこれまでの自分の音楽性と、チャレンジ的な部分、どちらにフォーカスしてるんですか?

■JQ: やっぱりチャレンジの部分ですね。 常に新しい自分を探していて、ファーストアルバムもセカンドアルバムも、時間の許す限りの挑戦をし続けたタイミングでリリースしてきたんですけど、毎回毎回新譜の度に成長して、また次の新しい事に着手して、少しずつ自分の表現の限界を突破していくので、やっぱり故意的に変えられる部分もあれば、自然と変わらない部分もありますよね。 ただ、自分たちでは「これがNulbarichらしさだ!」みたいなイメージを探している旅の途中でもあって、継続してる感じと新たな挑戦、あとはそのバランスに関しても、狙って今回はこういう風に…というよりは純粋に楽しくやったらこうなった、っていうのが今のかたちです。 

ー 作品毎のコンセプト、というよりは継続して積み重ねていってる感覚に忠実な楽曲、ってことですね。

■JQ: そうですね、おかげさまでやり始めてからなんだかんだで、結構コンスタントに忙しくさせてもらっていて、そういう忙しい時期の方がインプットの情報量が多いから、時間がない時程よく曲は作ってるんですよ。 そうすると作品の区切りでのコンセプトでまとめた楽曲、っていうよりは、その時その時の感覚に忠実な楽曲を作った方が正直ですよね。 

ー ちなみに活動の規模感が大きくなっていってる最中、この規模感の変化から受ける音楽的な影響ってありますか?

■JQ: ありますね。 僕ら普段からさらけ出して音楽やってるつもりではいますけど、やっぱり包み隠さないありのままの僕らを直接的に認識してもらえるのってライブだけじゃないですか。 そういう唯一生身の状態での体験はおのずと音に影響していってますね。 セッション的な自由な感じで普段ライブしてるのもあって、そこで得るものっていうのがメンバーそれぞれすごく大きいと思うんですよ。 すごく嬉しい事に2016年から活動していて、少しずつ、より多くの人たち、より遠くの人たちに届ける演奏をする環境を頂けてるんで、このタイミングで得た感覚っていうのが2019年これから先の音に反映されていくのは今から楽しみですね。 楽曲も演奏スキルも、会場が今以上に大きくなってもちゃんとお客さんに刺さるものにしていかなきゃいけない、っていう意識はメンバーそれぞれが今持っていると思います。 僕もプロデュース面としても、曲を最初に頭の中に思い描いた時の、ライブで演奏してるイメージっていうのは、昔よりスケール感が大きい状態で鳴らしてるものになっていってるんですよね。 去年、武道館でライブした時に、そのスケール感に関しては肌で感じたことがあって。 アーバンな感じのChillっぽい楽曲、普通ならカフェとかみたいな小さな空間で鳴ってるイメージのものでも、しっかり武道館で鳴らす意味ってあるな、って思ったんですよ。 今僕たちが自分たちのスタイルとしてやる音楽っていうのは、大きなスケールの空間で鳴らしてもちゃんと対応できるもの。 一つの夢として、おっきなところでバーン!と演りたい、っていうのはやっぱり昔からある正直な気持ちなんで、それを捨てずに前向いてやっていくべきだな、って今でも思ってるんですよ。 それを実現する為にやってきたところもあるから、ファーストアルバムから比べると、作品を重ねる度にその音のスケール感っていうのは大きくなっていってるのかな、と思います。

ー やっぱりネットでの情報とかと比べて、体で体験して得られる情報量って半端ないですからね、ライブの場でプレイヤーもお客さんも得られる感動とか経験が大きいのは事実ですよね。 ライブってこんなにもアナログな作業なのに、今のデジタル社会において尚人気の遊びとして残ってるのが素敵ですよね。

■JQ: やっぱりライブで成立する生の感覚って大事ですよね。 ネットとか作品でライブ映像見ることだって出来るんですけど、見る本人が演者と同じ空気吸って同じテンションでいないと演者と対にならない、というか。 ライブ会場って、そういう環境が整った場所で、演る側も見る側も一つのケーブルで繋がっていて、ずっとリンクしてる中で情報を共有してる感じがあるから、目の前にいる人たちの波動みたいな心の深い部分も感じ取れるし、本当に何にも変えられない場所ですよね。 だからどこで演るか、どういうライブをするか、っていうのは自分たちにとって重きを置いている部分ですね。 

アナログとデジタル

ー 生感。 これはNulbarichのサウンドでも大切にされてますね。 シンセサウンドがこれまでよりも若干レートを占めてる感じがした今作でも然り、これまで同様に特にギターやベースの音の生感はしっかり残してる感じがしました。

■JQ: 僕が元々トラックメイカーだったのもあって、曲を作るにあたってある程度のことは自分でPC上で解決できる上で、あえてバンドと一緒に音楽を作るっていうところにその生感が発生してるんだと思います。 

ー このアナログとデジタルのバランス感覚がNulbarichらしいな、と思うんですが、このバランスっていうのは意識的に作ったものなんですか?

■JQ: 完全に自然に出来上がった感じですね。 僕がある程度作ったものをメンバーに投げて、アレンジしてもらって、戻ってきたものを僕がトリートメント、エディットして完成、みたいな作業工程の曲も多いですし。 元々HIP HOPがすごく好きで、トラックを作り始めたのもMPCからだったんで、すごい贅沢なサンプリングソースをメンバーからもらって、曲を作ってる感覚です。

ー それ、すごいおもしろい感覚ですね。

■JQ: だからバンドでの作曲なんですけど、感覚としてはMPCでのトラック制作に近いんですよね。 MPCの楽曲ってデジタルなんだけど生っぽい凄く独特のグルーヴじゃないですか。 サンプリングも結構元ネタはアナログに録音した音だったりして、生っぽい。 だけどリズムを作るに当たってシーケンスが組まれてデジタルのテンポの上にその生音が乗っていく、っていう。 このなんとも言えないかっこよさ、楽しさと同じ感覚で今バンドでの作曲をやってる感じですね。 

ー 生っぽいという部分で言えば、サウンド的にそこを担ってるギターとベースの存在感が、今作ではこれまでと比べて若干だけ後ろに下がった感じがしたんですが。

■JQ: 今まではギターの存在の重要さが、結構優先順位高かったんですよ。 それが今回の楽曲作りの中で自然と少し変わっていったかもしれないですね。 ベースに関しては今回シンセベースを使ったりもしてますし。 武道館のライブではギター3本、ベース2本、キーボード2本、ドラム1台っていう結構カオスな編成で演奏したんですけど、ギターはPAN(前後の音量バランス)を振ってセンター/L/Rで1本ずつ鳴らしたり、DTM的な組み立て方で音を出していったんですよ。 ベースも1人が一般的なエレキベースでいってるフレーズでは、もう1人はシンセベースで重ねたり、1人シンベで1人はアコースティックのウッドベースにしたりとか、本当にPCでトラックを作ってる時と同じような感覚でライブをやったんですよ。 そこで学んだことがすごく大きかったですね。 今まではギターはセンターでがっつり鳴ってるべきだ!みたいな固定概念が多少なりともあったんですけど、そこから抜け出した感じって言えばいいのかな。 その感覚が今回のアルバムに活きて、こういうミックスになったと思います。 まぁこれもメンバー間での旬だと思うんで、また変わっていくかもしれないですけどね。 僕たちってみんながメンバーとして居るんですけど、”この音にはこいつ!” みたいな適材適所で役割を当てていくクルーみたいな感覚で演奏しているところがあって、得意なところはリードするし、必要じゃなかったら弾かない、みたいな本当に自由に楽曲が活きることを一番に考えた判断をする集団なんですよね。 作品に関しては、自分たちの主張の場じゃなくて、ただただグッドミュージックを目指してる。 全員が、自分の楽器の音がそこに入る事よりも 、Nulbarichが今一番フレッシュに良いと思ってる音楽がこれ!っていうのを目指して曲を作ってる感じですね。 で、ライブだとそれがまた真逆になるんですよ。 全員が “ここしかねぇ!” って主張し合うんで(笑)。 楽曲作りとライブは、目的意識が全然違うところにありますね。 

ー 制作がクレバーな分、そのライブおもしろそうですね(笑)。

■JQ: 僕のライブでのポジション的には、猛獣使いみたいな感じです(笑)。 もちろんある程度のルールは決めて、僕がコンポーザーとしては立たせてもらってるんですけど、もう全員が自由なんで、動物園みたいですね(笑)。 昔から仲のいいミュージシャン達を集めて、そのみんなの張り切って楽しんでる演奏を一番近くで観れるんで、一番僕がテンション上がってます、いつも。 余分なものは全部削ぎ落として、すごくシンプルに楽しめるグルーヴの音を鳴らすっていうことに徹してるんで、音源とはまた違った楽しみ方で、僕達自身が毎回めちゃくちゃ楽しんでやってます。 

ー 今作の曲順について。 前半にサラッと乗れる心地いい曲が続いて、その流れで聴き進めていくと最後へ向かってどんどんドープになっていって、「Toy Plane」(M8)を聴き終えたくらいでそれに気づいた時にはもう深みにはまってて抜け出せなくなってる、みたいな中毒性のある流れだと思いました(笑)。 どんな基準でこの曲順に?

■JQ: これ、たまたまなんですけど、それこそ「Toy Plane」を境目として、「Toy Plane」より前に収録してる曲は武道館のライブより前に作った曲なんですよ。 普段はもう少し上手に並べるんですけどね(笑)。 で、武道館後にコンポーズして一気に仕上げていったのが「Toy Plane」からなんですよ。 だから純粋にドープになってます、武道館後の楽曲の方が。 よりディープに意思が入ってるし、これから先のビジョンも明確に見えた状態で作ってる曲ですね。 この曲順、我ながら結構賭けだったな、と思います(笑)。 普通に考えたらタイアップ曲とかを後半にもある程度散りばめて、聴いてる人に途中で飽きられないように、っていう意思が働くと思うんですけど、今回はずーっとパズルして色んな曲順を試したんですけど、成立することを優先したら自然とこの曲順になりました。 

— トンネル抜けたら別世界みたいな、聴き始めと違う感情で聴き終わってる感じがおもしろかったです。

■ JQ: 後半部分、意図的に黒くしようとか、難しくしようとか、そういう狙いがある訳じゃないんですけどね。 マインド的にはディープに、より音楽的な仕上がりにはなってると思うんですけど、逆に引きつけるポイントっていう意味でキャッチーなのも後半部分だと思うんですよね。 武道館後に作った曲の方が、自分が向かう方向性が分かりやすく見えてる感じがあって、それが曲に出てるのかな。 

— アルバムのストーリーとしては、この2層構造がありつつも、イントロとアウトロで一つのストーリーにまとめあげてる感じが美しいな、と思ったんですが、このイントロの朝感と、アウトロの夜感はアルバム全編を通して1日の出来事を表現してる、って事ですか? そう考えると後半のディープな感じは夕焼けから夜に差し掛かっていくディープさとリンクしていて、改めて曲順の妙だな、と思ったんですが。

■ JQ: イントロは、そうですね “始まり感” ですね。 一つの作品としてまとめる時は、起承転結の流れは重要視してます。 アウトロ「I’m Home」の鍵を置く音、あれは実際に僕がただいま、って家に帰ってきた時の音を入れてるんですよ。 このアルバム、全曲ミックスが終わってそのスタジオの帰り道の音をボイスレコーダーで録りながら帰ってて、その次の日にイントロとアウトロを作りにスタジオに行ったんですけど、この鍵を置く音、なんかいいなぁと思ってそのまま使いました。 

解釈の余白がアート。

— 超リアルなサンプリングですね!

■JQ: サンプリングのおもしろいところって、その音を録った時の景色、これは僕だけにしかわかってないものなんですけど、それを音だけのフィルターで人に届ける事によって、その音だけを頼りにまた別の景色を想像する、ってところにあると思うんですよ。 それがアートだよな、って思うんですよね。 全てを直接見せて全てを理解させるんじゃなくて、余計なものを省いてしまって、純粋な情報だけでそれを届けようとする。 そうすることによって物事がアバウトに伝わって、聴く人、見る人にとっては自分の頭で解釈しないと理解ができないものを、それぞれのスタイルで捉えて。 で、その捉え方は自由。 これは絵とか写真とか、そういうアートと同じで、音楽もそうだな、って。 表現を豊かにするのがアートの醍醐味じゃなくて、アートっていうフィルターによって答えは分かりづらくなって、その答えを自分で導くっていう受け身じゃない能動的な頭の働き、これをやった時に得られる感覚、想いっていうのを共有して楽しむのがアートだな、って。 

— Nulbarichの歌詞もそういう抽象性ありますね。

■ JQ: 言葉ってすごく直接的な表現ではあるんですけど、一つ一つの言葉の扱い方とか、誰が言うかとかでいくらでも印象が変わってくるものですよね。 だから断定的にこうだ!っていうような結論みたいなものは、たった2年活動したミュージシャンが言う事じゃないな、って僕自身では思ってて、自分の書く歌詞はあくまで僕が切り取った場面と想いを、いち人間の僕の側面からの見え方として書いていってますね。

— そう考えると逆に、本作のラストソング「Stop Us Dreaming」(M12)。 この歌詞に関しては、珍しく超リアルでパーソナルな想いを込めてる感じがしました。 一番アツいメッセージだなって。 

■ JQ: そうなんですよ、これは最後に入れないと収録できないくらい恥ずかしい曲(笑)。

— え(笑)、そこまでですか(笑)。

■ JQ: “もうあとは歌い狂うだけだぜ!” みないたメッセージ、これだけ仮にシングルカットして、これこそNulbarichだ!って思われたら、超恥ずかしいですよ(笑)。 だからこのアルバムの曲の流れがあって、いろんなことを踏まえた上で、そんな僕らのひとつの側面としてのこの「Stop Us Dreaming」っていうのはちょうどいい立ち位置なんですけど、この曲をフックアップして、これが代表曲だ!って思われたらめちゃくちゃ恥ずかしい曲です(笑)。 是非、単曲で聴かないでほしい!

— この曲順で初めて成立する曲って事ですね(笑)。

■JQ: 今ってプレイリストで音楽聴くことも多いじゃないですか。 だから他の人の曲と一緒に「○○ミックス」みたいなリストでNulbarichの曲としてこの曲をピックアップされたら参りますね(笑)。 是非とも、アルバムの曲順を辿った感情の延長線上で聴いて頂けるとありがたいです。 最後の曲だからもう言いたいこと言っちゃおう!っていう感情にさせてくれたのも、他の楽曲があってその存在ありきの事だったんで、この曲だけ一曲リピートとかはちょっとヤバいやつですね(笑)。

— “I found heaven in these clouds” ってフレーズがめっちゃ刺さりました。 やっと見つけた心地いい音楽の場所って、今まで成し遂げてきた成功と苦労の堆積でこそ掴んだ約束の地みたいでかっこいいな、と。 Nulbarichの音楽自体が実際そういう理想郷っぽいオリジナリティーの強さをもって時代の音楽の中に立ってるな、と思うんですが、この先は武道館後のインスピレーションを経て、どういう方向に向かっていくんでしょうか?

■JQ: どこへ向かうかというよりは、向かった先が結果的に心地いいかどうか、って事かなと思うんですよ。 大きな夢は漠然としたままとっておきたくて。 そこへ辿り着くまでに色んな生き方があると思うんですけど、例えば “マディソン・スクエア・ガーデンに立ちたい!” みたいな謎のデカイ夢があったとしたら、それを達成するまでのやり方っていうのは、ひとつひとつ進んで行った先で、その場所から初めて見えてくる方法があって、それを頼りに、更に先に進んでいけばいいのかな、って。 そこに立ってみないと見えない道って沢山あると思うんで、まだ見ぬ先は頭で決めないで、行動した結果から導き出していきたいなって思います。