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渋谷龍太 from SUPER BEAVER 愛すべきマイナー記念日達
- SPECIAL -

渋谷龍太 from SUPER BEAVER 愛すべきマイナー記念日達

6月2日
『路地の日』 長野県下諏訪町の「路地を歩く会」が、路地の良さを見直そうと制定。
「女難の相が出ています」
「ん?」
「あなたですよ。女難の相が印堂のあたりに濃く出ています。こっちへいらっしゃい」 声のした方に男が視線を向けると、薬局の横の道で老人が一人座っていた。易者だろうか、小 さな明かりを置いた小さな机と、小さな椅子。訝しげに様子を見ていると老人が言った。 「そのままでいることも一興。苦境も苦難も後悔も、いずれはあなたの糧になる。また会えたら いいですな」 終電を過ぎ、人もまばらなこの時間に男は、この街には自分とこの老人しか存在しないような 奇妙な感覚を抱いていた。閉められたシャッターが風もないのにガタガタ音を立てた。 「女難の相ですか」
気がつくと老人側に立ち、男は訊いていた。 「女難の相。あなたの奥さんの行いにまつわることで、あなたは、うん、そうですな、おそらく 間接的に被害を被る形になる」 そう言うと、老人は自分の向かいに置かれたもう一対の小さな椅子を手のひらで差して見せ た。導かれるように男はその椅子に座った。老人は一度ゆっくり頷いて見せた。 「それと、あなたの女難の相は奥さん一人に限ったことではない。おそらくは」
「はい」
「あなたの職に関係している」
「僕の仕事、ってことですか」 「あなたより5つか6つ程、歳が上の女性がいらっしゃるはず。彼女は自分自身でも気がついては いないが、おそらくあなたに想いを寄せているようです。そして彼女は今、人生の分岐点に立た されています」老人は咳払いを一つした。「ここで選んだ道の一方は吉へ、しかしもう一方を選 んでしまった場合、辛く困難な未来が待っているでしょう。そのもう一方の道にあなたが大きく 関係してくるようです」
「え」男は椅子を引いて身を乗り出した。「待ってください」 「彼女と二人きりになるのを避けなさい。もし仕事の都合上どうしても二人きりにならなければ いけない場合があるとするならば、彼女の左側に立ってはいけません。これを守っていればおそ らくあなたも、そして彼女も大丈夫なはずです。そしてあなたの奥さんの行いにまつわることです が」
「ちょっと待ってください。あなたは占い師なのですか、それとも何か他の」 「私がどのような存在であるか。それがあなたの人生に影響を及ぼすようなことはありません。 このあと起こる可能性のある、吉とは言い難い道。それを避けて通れる術が見えてしまったか ら、ただお伝えしているに過ぎない」 車が一台、大通りを走り抜けて行った。それっきり殆ど音が聞こえなくなった。 老人は男の目を覗き込むようにじっくり見て、一度小さく笑った。「おそれること、それも一 興」

時間外れにカラスが鳴いて、再びシャッターが音を立てた。辺りを一度見回して、男は足元に視 線を落とした。そして俯いたまま小さい声で言った。
「いない、です」
老人が目を細めて男を見た。
「あの。結婚してないんで、奥さん、いないです」
「え」 「あと、老けてるってよく言われるんですが、僕まだ大学生です。就職してません」男は苦い顔を して誤った。「言い出せなくてすみません。なんか、すみません」 頭を下げた男を前に老人は言った。 「うん。当たらぬことも往々にしてある。おそらくあなたの眉間に出ていた女難の相は、この先 しばらくパートナーができないという、至極単純なことだったのかもしれませんな」 男はそれを聞いて顔をあげた。
「あの、いや、奥さんはいないんですけど、彼女はいます」
「え」
「あの、本当にすみません」 老人は黙ったまま男の顔を眺めた。男は小さい声でもう一度、すみません、と言った。 道の脇を小さなネズミが走り抜けていくのを、二人はなんとなく、ぼんやり眺めた。ネズミが 姿を消すと老人が言った。
「今、6年なんだけど」
「え?」 「占い始めてから6年ね。当たったのが最初の方の二回だけ。あとは全部はずれ。もうなんてい うか、だめかも」
それを聞いて男は慌てて言った。 「そんなことないですよ。僕がもっと早くいろいろ打ち明けてれば、こんなことには」 「いや、もう慣れないこととかするもんじゃないわ、やめるわ」 酔っ払いが鼻歌を歌いながら二人の前をゆっくりと通り過ぎてゆく。一度シャッターにぶつ かって派手な音を立てると、ヘラヘラと笑って姿を消した。 「あの」男は何度か瞬きを繰り返した。「話聞きましょうか?」
「うん」
「きっと、苦境も苦難も後悔も、いずれはあなたの糧になりますよ」
「いい言葉だね」
「あなたが言ったんでしょう」 老人はゆっくりと机を片付け始めた。折りたたんだ二脚の椅子は、男が持ってやった。