>>2 流れるプールと私の暴論
日焼けがちっとも怖くなかった子供の頃、私は家族と毎年プールに行っていた。
塩素で手がふやふやになってもまだ飽き足らず、よくもまあ、あんなに遊ぶ体力があったものだよなと23にして早くも体力の衰えを感じ始めているのだけど…
ともあれ、急にこんな話をしたのも
実は最近何となく、あの頃を思い出したくなる事が増えたからで。
流れるプールでひたすら水に浮いているのが好きだったな、とか
仰向けでお腹を突き上げると上手にぼーっと出来ていいんだよな、とか
平泳ぎは一向に上達しなかったけど毛伸びは少し得意だったな、とか
疲れることを恐れずに、
ただ気持ちの良いまま、気の赴くまま、
余計な全てを気にも留めず
素直に波に揺られていたあの頃。
ノスタルジーに浸ったりしながら、
私たち、あの頃と変わらず今も同じ人生を生きているはずなのに って
遠くの緑を見ながらぐるぐるとさ
考えたりすることない?
(ここから先はかなりの暴論であり、
あくまで、飽くまでの私の衝動的な考えになるんだけど、)
だって一度きりの人生、100%自分の好きに謳歌していいはずなのに
少し歳を重ねただけで
”きちんと” しなくちゃいけないような気になって
レールを見つけなきゃいけないような
褒められた大人になるために
“社会人”として器用に振る舞わなくちゃって、
ねえでも、それ何のため?
ルール?周りからの目?漠然とした不安?
一体何のせい?
だってあんなに大きな手で僕らの生活を包み込んでいる
“資本主義” ですらも
人生1回目の人間がつくった仕組みだっていうのに。
例えばロールモデルだって確かに大切だけど
時代なんて5年10年もすればガラッと変わってしまうじゃない。
お金とか、生活とか、世間体とか、
色々あるけど
何だって本能よりはずっと後回しなはずで。
もっと変化に身を委ねたってよくて。
好奇心が常識を凌駕することだって当然で。
むしろ抑え込んでいる方が本来不自然で。
何ていうかさ、この不安定な天気のせいにしたいくらい頭の中も言葉も全然まとまってくれないんだけど、
とにかく僕ら私らもっとハングリーに
もっと柔軟に
元々あったみたいな顔してそこら中に蔓延る鎖を
丁寧に見破って壊していけば
もっともっと
気持ちの良い方に突き進めるはずなんじゃないかって思うんだよ
人生や自分の本能より先に立つものなんて何もない。
流れるプールで日が暮れるまで浮かんでいた、
帰るよって言われても絶対にプールサイドに足をあげなかった
あの頃のわがままな生き方を
今ならまだ思い出せる気がする。