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藍坊主 interview
- SPECIAL -

藍坊主 interview

昨年、自主レーベルLuno Recordsを立ち上げ、すべてを自分たちだけでプロデュースすることを決定し、バンドとして新たな道を歩み始めた藍坊主。1年9ヶ月ぶりに発表された8枚目のアルバム『Luno』は自らのレーベル初のアルバム作。2つのシングル作を経て、今作では壮大で幻想的な歌詞世界が表現された。本作に至るまでの藍坊主の軌跡、そして今、バンドが思うことを連綿と語ってもらった。

interview&text_Ryo Tajima

身近な謎と遠い果てにある謎を同じ直線で繋げた内容

—- 1年9ヶ月ぶりの新作であり8枚目のアルバム『Luno』が完成。聴いた感想ですが、どことなく自分たちをどこか別の場所から俯瞰して見ているような内容になっている印象がしましたが、どういう作品に仕上がったと思いますか?

藤森真一:実は自分ではそう思っていなかったんですよ。だから”俯瞰”と人から言われて、自分たちの方が気づかされるというか。この間、『Luno』を聴いてくれた知人から「前より俯瞰できているね。もっと上、月から自分たちを含めた世界を見ているね」って言われたんです。『Luno』は月という意味ですが、月を意識して作品作りをしたわけではなく、偶然なんですよね。結果的に月から見るような世界観になったことで、作品には物語という明確なストーリーではなく、おとぎ話のようなちょっと滲んだ世界が表現されている。そんなアルバムになったのではないかと。これには昨年、Luno Recordsというレーベルを立ち上げて自分たちでやっていくことを決めたことも大きく影響していますね。

hozzy:藍坊主はどの作品もそうなんですけど、大きなテーマに沿って作品作りをするような制作活動はしないんですよ。そのときどきの精神状態や自分たちが感じていることを、曲毎に反映させていくので、出来上がった後に作品の意味を読み解いていくことが多いんです。最終的に『Luno』というタイトルになりましたけど、宇宙に関係する言葉にしようだとか、歌詞に宇宙を連想させるような単語を入れようという気持ちはなかったですね。ですが深層心理は作品に表れるものですから、どこかで意識はしていたんでしょうね。現実から離れた神秘性をテーマにしている曲が多いのは制作途中から思っていましたし。

田中ユウイチ:どのアルバムもそうですが、不思議とコンセプトを予め設けなくても1つの作品としてまとまっていくんです。『Luno』に関しては、特に藤森の書く歌詞の世界観に変化を感じましたね。それは、まだ存在しないものへの問いかけ、メッセージを届ける相手がいるかもわからないのに発信をする。そういう歌やテーマが際立っている点です。自分の根源に近いところまで深く掘り下げていく。そしたら意識のどこかで繋がったというような。それは宇宙に繋がるのと同意義でもありますしね。コミュニケーションの根源的なやり方とも言える歌詞表現や世界観が切実だと思うんです。このアルバムで、そういう深いところまで、自分たちを掘り下げることができたのが嬉しいです。

– 確かに歌詞に宇宙、地球、世界という単語が多く出てきます。そういった神秘的で壮大な世界観をアルバム全体から感じますが、どういうことを考えながら曲として表現したんですか?

hozzy:藤森が描いている歌詞にしてもそうなんですが、新しい命の誕生に言及しているようなことや、それに対する自分の気持ちが書かれている。例えば命が生まれることも宇宙の果てのことも、人間には絶対100%理解できることじゃないという点で共通していますよね。すごく身近にある命という謎と、果てしなく遠くにある宇宙という謎が、考え方次第で同じラインで繋がったり、ぶつかりあったりする。今『Luno』を作り終えて振り返ると、そんなことを考えていたように感じます。でも、昨年リリースしたシングル『降車ボタンを押さなかったら』と『魔法以上が宿ってゆく』は自分たちの感情や状況が現実的な視線で書いていますけどね。この曲を書いているときはバンドも僕自身もちょっと迷っている時期だったんです。

– シングルを制作している時期は具体的にどんな心情だったんですか。

hozzy:現実的に音楽を続けようか迷っていました。やることができるのか? って。シングルの2曲が完成して、Luno Recordsを立ち上げて、自分たちで音楽をやっていこうと、気持ちを整理した後にアルバム制作に向かっていったので身近なことよりも大きな世界観に向かっていったんです。現実ではなく、音楽だからできることを表現しようという意識へ変わっていった。

藤森:僕も同じ気持ちでしたね。昨年はメンバー全員が気持ちを再度共有しなければいけない時期でした。

渡辺拓郎:バンドをまだ続けたいという気持ちはメンバー各々ありました。その意識の再確認ですね。個人的にやりたいこと、バンドとしてやりたいこと。それを続けていくにはどうすればいいかを話し合って気持ちを擦り合わせていったんです。

もう1度自分たちの力だけでワクワクできる環境を作り出す

– その結果、自主レーベルLuno Recordsを設立。そのことが今作に大きく関係しているんですね。そもそも、なぜLuno Recordsを立ち上げたんですか?

藤森:結果論になりますが、このメンバーで藍坊主として音楽を続けられるのかを再認識するための場だったのかと思います。僕らは2003年にデビューして、当初は初めてのツアーに初めてのレコーディング、物事ひとつひとつにワクワクして、濃く楽しいと思える活動をしていたんですよ。でも同じことが10年以上も続けば、それが当たり前のことになってしまう。この年齢になって、もう1度自分たちの力でワクワクできる環境に持っていきたかったんですよ。それが今ではバンド活動に関することは、当然すべて自分たちでやらなくてはいけないので、おざなりになっていたメンバー同士のコミュニケーションを取ることもぐっと増えて、良い状況に変わっていきました。

田中:音楽を作って生活するというスタイルが当たり前で10年以上活動してきたんですけど、『だんだん音楽を作ること=生きていくこと』に意識が変わっていたんです。自分たちの音楽をどうやって広めるか、どう届けるのか。すべてを自分たちでプロデュースして藍坊主をやっていきたいという意思表示が、Luno Recordsを立ち上げることに繋がったんです。

– とにかく自分たちでバンドを決定づけていくという活動にシフトしたんですね。『Luno』ではこれまでのアルバムにないスケールの大きな歌詞の世界観が表現がされていると思うのですが、歌詞についてはどのような意識があったんですか?

藤森:書いているときは単純にワクワクしていました。宇宙と命が実は近しいだとか、逆説的に物事を考えることができたときは何か新しいものを発見したときの気持ちに近しかったですね。例えば、天動説が主流だった時代に地動説を発見しちゃったような感じです。そんな大袈裟なものではないのかもしれないですけど、僕にはそれと同じようなワクワク感があったんですよ。

hozzy:シングル2曲以降に制作した曲については、夢みたいな歌詞を書きたいと思ったんですよ。今にも眠りに落ちそうなときって、理性が飛ぶじゃないですか。白昼夢を見ているような感触に近い世界観ですね。何かものの大きさを正確に判別できないような状態というか。それってライブでも似たような状態になることがあるので、そういう歌詞の作り方をすれば自分たちらしい音楽にもっと近づくだろうと考えたんです。今までだったらリスナーのことも考えて分かりやすさやストレートな表現を意識していたと思うんですが、自分たちでプロデュースした今作だからこそ、自由に素直に表現できたんです。だから『Luno』を聴いてくれた方に「前の藍坊主の方が良かった」とか言われたら、すげーショックかも…(笑)。これが本当のオレたちだから言い訳もできないし、ここからまた自分たちでバンドをやっていく1つの指標になるようなアルバムだと考えているので。

– 1曲目の『ボトルシップ』には、今の藍坊主を象徴するような世界観が反映されていますよね。壮大な楽曲ですし、旅を連想させるような言葉にバンドの未来を重ねているように感じました。

hozzy:まさにアルバムの入り口にふさわしい曲だと思っていますね。旅の始まりを思わせるようで、目的を探している様子ですが、そこに向かっていくんだというよりは、漂っていく覚悟を感じさせる曲です。

– 2曲目の『うさぎとかめ』は”感情と言葉”というキーワードが気になりました。年齢を重ねる毎に感性が損なわれていくことへの、ある種の懸念みたいなメッセージにも見えるんですが、この曲はどういう内容を歌っているんですか?

藤森:音楽を始めたとき、言葉にできない感情を補おうという衝動があって、どうにもならないことにもどかしさを感じたりしながら曲を作ったりライブをやったりしていたと思うんですが、どんなにやっても結局、感情と言葉の差は埋まらないって、この34歳になって今気づくんですよね。じゃあ埋まらないなら埋まらないなりに模索を続ける曲、という風に捉えられるかもしれません。

– 5曲目『すべてが終わった夜に』の歌詞は漢字で書く言葉をあえてひらがなで表現していますよね。これはなぜですか?

hozzy:漢字で見ると言葉が視覚的に何でもないものになってしまう気がするんですよ。この曲にある「こどう」も漢字だと「鼓動」。ひらがなで表現することで心に響くような気がするんですよね。「やわらかい」、「かたい」とか。ひらがなだと言葉が固定的じゃなくなるんです。もう1つには意識の狭間を泳いでいるような白昼夢のような世界観っていうのが頭の中にあったんで、こういう表現になったんです。この曲は特にそれが目立ってますね。もともと藍坊主はバンドスタートのきっかけがザ・ブルーハーツにあって、特に歌詞はめちゃくちゃ好きだったんですよね。だからオレらも日本語で歌詞を書いているし、そこにこだわりがありますし、日本語の言葉と、その表現を大切に考えていますね。今までの作品もそうなんですが、歌詞カードのブックレットは右開きでレイアウトして歌詞を縦書きにしています。小説や教科書と同じ方向から開いて読めるようにしたかったので。それも英語ではなく歌詞が日本語だからなんです。

偶然が連なってアルバム全体に1つのストーリーが出来る

– 最後の曲『存在とパン』では宇宙のことを語りつつ「すこし焦げたパンを食べたい」という歌詞で日常を歌っている。まさにアルバムの世界観を凝縮するような曲だと思うのですが、この曲はどのような曲なんですか?

hozzy:作曲がドラムの渡辺ですね。彼らしい良い曲だと思います。「歌詞を好きに書いていいよ」ってことで制作期間のちょうど中盤に出来た曲なんですが、幻想を描いたような歌詞です。「テーブルはきっと知っている 浮かびながら踊る幸せ」だとか「妖精」という単語だとか。ぱっと読んだら突拍子もない内容ですよね。これは、子どもの頃、道を歩いていて、このラインから落ちたらダメとか、ここからはみ出たらダメ、とかそんな勝手なルールを作りながら頭の中でモンスターを想像して倒しながら帰路についたりするじゃないですか、あれと一緒です。夜中に作業しているときに薬缶がコンッて鳴ったことがオレの頭の中では「妖精」と繋がったり瞬間もあったりしたんですよ。自分たちが存在していて、宇宙は途方も無く広大で、自分なんてちっぽけだな、とも思うんですが、存在しているという点では自分も宇宙も同じで一直線で繋げて考えられる。自分で書いて1番気に入っているのが、最後の方の歌詞「存在に愛された 直線の上に ぼくたちはのっかっている」って一節で、その先に自分がいるって考える感覚はすごく生を感じることだと思うし、それを歌詞を通して伝えられたらと思ったんです。アルバムの最後に持ってくると締まると思ったんですよ。それと、これも偶然で後で気づいたんですけど、この曲の「宇宙をとおりぬけ」の部分、空を宇宙(そら)と表記していますけど、藤森が書いた1曲目『ボトルシップ』の歌詞で同じように「空を 抜けて」と同じ表現が出てくるんですよね。『ボトルシップ』は存在の消失に焦点を置いている曲、『存在とパン』はそれを汲んで”存在することで愛されている”という内容。アルバムを通して聴いてもらって、最後の曲から最初に戻ったときに、気づいてもらったら嬉しい部分です。

– 藤森さんとhozzyさんの歌詞の表現が偶然ループするように表現されているってことですよね。打合せしたわけでもなく、ここまで世界観が一致するのもすごいことだと思いますが。

藤森:まさに正直に自分たちらしく曲を作っていると言える点ですね。この間、とある時に「hozzyがバンドをやっている上で偶然はなくすべてが必然だ」と発言していたんですけど、僕はまさにその通りだと思いましたね。だけど、この偶然性は、ここ一連の作品のアートワークにも言えることに完成した後に気づいたんですよ。というのもシングル『降車ボタンを押さなかったら』ではバスがトンネルを抜けて行く絵、その次のシングル『魔法以上が宿ってゆく』が気球が地上から飛びだって最終的に月に辿り着くというストーリーが描かれている。で、『Luno』では月面のデザイン。デザイナーに僕らから指示を出したわけでもないのに、すべて繋がっているんです。まさに偶然の積み重なりなんです。

hozzy:無意識で表現したのが繋がっているのが嬉しいですよね。1つの作品としてストーリーがまとまっているのを発見するのが面白いんです。

迷いながらも前を向く オレも同じだぜって伝えるための作品

– 楽曲自体はどのように制作されたんですか?

渡辺:hozzyと藤森が作曲して、皆で聴いて、その後は曲全体のアレンジが頭に浮かんだメンバーがデモまで仕上げてくるというやり方です。クレジットに掲載されていないんですが全曲、作曲者以外にアレンジ担当がいるんですよ。アレンジは大体が僕と田中の2人がやることが多いですね。

hozzy:オレは基本的にアレンジはしないんです。すごいシンプルなデモを渡してメンバーに曲を崩していってもらったほうがやりやすいんです。

田中:アレンジ担当とは言ってもデモでは8割くらいまで作ってメンバーに聴かせるんですけどね。作り込みすぎても世界観を制限してしまうし、後はメンバーで話し合って曲を広げる方が良いので。今作については特にメロディがシンプルで活き活きしていたので、その良さを活かして世界観が広がるようなアレンジを心がけていましたね。

渡辺:今回は特にhozzyの曲のアレンジが多かったですね。僕の場合、1回聴いてから思い浮かんだアレンジを作って、もっとも振り切れたものをhozzyに聴かせるんです。そこから引き算することもあれば、振り切った形のまま進むこともある。例えば、5曲目『すべてが終わった夜に』と8曲目『剥がれ落ちて水になれ』は当初、シンプルになる予定だったのが、かなり表情豊かに仕上がっていきました。

– 今作、まだ藍坊主を知らない人で、聴いて欲しいと思う人間像を教えてください。

hozzy:このアルバムでは『降車ボタンを押さなかったら』が1番古く出来た曲なんですが、この曲は辞めようと思ったけど結局辞めなかった、というような歌詞の内容なんですね。辞める、辞めないというのは自分自身のことで、オレの転換期だったし、人生の分岐点に立った気がしていた時期の曲です。だから、そういう分岐点に立っている人がいたとしたら今、聴いて欲しいと思います。

渡辺:このアルバムは、見えるものをすべてを肉眼で見ようとして作った作品というイメージが個人的にあるんです。宇宙だったり、生命の話にしても。今、自分が見ている世界の数メートル先にすごい不安を感じていたり、人生をもがきながら頑張っている人に向けて、自分の力で見ようとすると、何が見えるのかという考えに至るきっかけになってくれたら嬉しいと思います。自分も20代の頃、漠然とした不安を感じていました。今は色んな手段で、色んなものを見て、自分なりに勉強して、こうして肉眼でものを見ようとしながら作品を作ったので。探しものがある人に聴いてもらって、何か見つけてもらえたらいいですね。

田中:自分のやるべきことをやろうとしている人です。やり遂げるまでは、それが本当に自分のやるべきことかすらも、わからないんですよね。やり遂げた後に、これがやるべきことだったんだな、と気づくことができるものなんですよね。それまでの道程では、これが正しかったのかとか、検討違いなところにオレは進んでいるんじゃないのかとか思ってしまうものです。迷いながらも前を向いて何かをやろうとしている人に、オレもまったく同じだぜって伝えたい。それを伝えるための作品だと思っています。

藤森:メンバーと同じ意見ですね。そう思うと同い年くらいの人間に聴いて欲しいかもしれません。30代、気持ちがちょっと萎えてくる時期だと思うんです。自分が何かを始めたときの衝動が、当たり前になり、新しいことがなくなり、その状況の中であっても、こんなにも新しいことがあり、こんなに楽しいことがあるよってことの1つの提示が『Luno』だと思います。

楽しみ方に焦点を当てればどこでだって楽しめる

– それでは最後に。今作を携えたツアーも控えていますが、皆さんのライブ観を教えてください。どんなキャパでのライブが好きか、とか。

一同:これは、メンバー皆意見が違うかもしれないな〜…。

渡辺:僕は来てくれるお客さんの顔、全員が見えるサイズ感や場所が好きですね。規模感は関係なく、例えばフロアがすり鉢状になっていてお客さんが見えやすいところでも良いですね。そもそもライブの場所って、曲を聴いて来てくれた人が考えている印象と、バンドが提示した曲が合わさる場所だと思うんですよね。曲がリスナーそれぞれのものになって、それが僕らに返ってくる時間というか。この曲はこんな風に捉えられているんだな、って大事に考えてくれているお客さんの反応を感じることがすごく嬉しいんです。顔が見えた方が、それがわかりやすいですからね。バンドとお客さんの空気感が合っているときは、3000人のお客さんを前にしても1番後ろのお客さんまで顔が見えるときがあるんです。そんな風に人と人の気持ちが繋がるライブが1番好きですね。

田中:たまにお客さんと「ライブ楽しかったけど、明日からまた仕事で嫌だな〜」とか話したりするんですけど、僕はそういう日常とライブをもっと繋げたいと思うんですよ。ライブの空間は非日常のものの1つだと思うんですけど、もっと日常の中の1つとして考えて欲しいんです。というのも、新しい発見や喜びは非日常の中で発見することが多いと思うんですよね。例えば、僕の場合は旅先だとか。いつもと違う状況に置かれているところで、日常のことがより分かる。ライブもそういう場所であって欲しい。何か新たに発見して欲しいと思いますね。自分自身で言えば、より自分の中を掘り下げていって頭が空っぽになるくらい無心になれる瞬間をもっと多く作りたいと思っています。それはお客さんと真剣に向き合っていることで、広く大きな意味で繋がる瞬間で、そういうときはフッと重力がなくなるような気がするんですよ。ライブは特別な装置だと思っているんで、それが可能だと思います。それを意識しながらライブしています。

藤森:最近、自分が楽しいと思えて、今回の作品がより映えると考えると、キャパが小さな場所の方かな? と思います。少し前に「OTOMOTO〜ハナミドリームをもう一度〜」のツアーでは1番大きい会場でも500人くらいのキャパシティで全国を回ったんですが、そこで見たのは、お客さんが僕らの曲を大切に温めてくれている光景だったんですよね。それがすごく楽しくて嬉しくて、今の気分的にはライブハウスが良いかな、と考えています。

hozzy:オレは曲によっては、1000から1500人とか少し大きいホールでもやりたいですね。特に『ボトルシップ』、『ステラー』のような曲は、反響音が出るような空間で演奏してみたい欲求があります。まぁ、皆の意見を合わせると結局のところキャパが小さい、大きいは関係なく、どこででも楽しみ方があるってことですね。場所毎に楽しみ方があるわけで、そのことに焦点を当てればいつだって楽しいわけです。